佛敎聖典 : 全
남조문웅
- 著者前田慧雲, 南条文雄 編
- 出版社三省堂
- ページ数494, 96p 地図
- サイズ16cm
- 解説経年のためヤケやスレ等があります。お読みになることに支障はございません。 線引き 記名あり
阿弥陀経講話
仏教聖典 |
前田慧雲, 南条文雄 編 |
東京 |
三省堂 |
明38.6 |
494, 96p 地図 ; 16cm |
付録: 釈尊伝, 仏教史概要 |
仏教聖典
仏教聖典 |
塚田文庫 |
186 |
2 |
前田慧雲 他1名 著 |
1910 |
三省堂書店 |
912,2,2P |
16cm |
塚田 |
前田 慧雲(恵雲、まえだ えうん、安政2年1月14日(1855年3月2日) - 昭和5年(1930年)4月29日)は、伊勢国桑名(現・三重県桑名市)出身の浄土真宗本願寺派の学僧(文学博士・三重県初、東洋大学長、龍谷大学長)。含潤、止舟斎と号す。
略歴
桑名の西福寺に生まれ、大賀旭川、佐藤牧山に漢文を、西山教校、比叡山、松島善譲に仏教学を学んだ。
1888年に上京して大内青巒と共に尊皇奉仏を唱え、新欲主学問所の主事となる。東京大学講師をはじめとし、高輪仏教大学(明治37年)、東洋大学(明治39年)、龍谷大学(大正11年)の学長を歴任した。
1903年8月『大乗仏教史論』[1]を著して大乗非仏説を批判し、10月「本願寺教学私見」を発表し、本願寺派から一時除籍された(1905年復籍)[2]。
1930年死去。墓所は東京都杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所。
その人柄について高嶋米峰は「学の人であると同時に、徳の人であり、又、信仰の人であると共に趣味の人であつた。」と評した[3]。
主編著
- 『大日本続蔵経』
- 『大乗仏教史論』
- 『仏教今古変一斑』
- 『天台宗綱要』
- 『仏教人生観』
- 『仏教思想講話』
関連文献
- 東洋大学 『東洋大学創立五十年史』 1937年
脚注
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外部リンク
南条 文雄(なんじょう ぶんゆう、嘉永2年5月12日(1849年7月1日) - 昭和2年(1927年)11月9日)は、日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。旧字体で「南條文雄」とも表記される。字は「碩果」、「松坡」。
近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観的な学問体系と方法論を初めて導入した。早い時期から仏典の原典であるサンスクリット(梵語)テキストの存在に注目。主要な漢訳経典との対校を行なうとともに、それらの成果をヨーロッパの学界に広く紹介するなど、近代的な仏教研究の基礎形成に大きな役割を果たした。
経歴[
美濃国大垣船町(現・岐阜県大垣市)の誓運寺(真宗大谷派)に生まれる。幼名は格丸、または格順。幼時より漢学・仏典の才に優れる。1866年、大垣藩の僧兵隊に参加。1868年、京都東本願寺の高倉学寮に入り翌年帰郷。1871年、高倉学寮で教鞭を取っていた福井県憶念寺南条神興の養子となり南条姓に改姓、再び学寮に赴き護法場でキリスト教など仏教以外の諸学を修めた。
1876年、同僚の笠原研寿とともに サンスクリット(梵語)研究のため渡英、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパにおける近代的な仏教研究の手法を学び、漢訳仏典の英訳、梵語仏典と漢訳仏典の対校等に従事した。特に1883年にイギリスで出版された英訳『大明三蔵聖教目録』(Chinese Translation of Buddhist Tripitaka, the sacred canon of the Buddhist in China)は「Nanjo-Catalog」と称され、現在なお仏教学者・サンスクリット学者・東洋学者に珍重される。翌年、オックスフォード大学よりマスター・オブ・アーツの称号を授与され、帰国。
1885年より東京帝国大学文科大学で梵語学の嘱託講師となり、1887年にインド・中国の仏教遺跡を探訪。1889年には文部省より日本第1号の文学博士の称号を授与された。1906年、帝国学士院会員となる。
1901年、東本願寺が真宗大学(現、大谷大学)を京都から東京巣鴨に移転開設すると、同大学の教授に就任。初代学監清沢満之と協力して、関連諸学との緊密な連繋の上に立つ近代的な仏教研究・教育機関の創設に力を注いだ。 1903年、清沢満之の後を受けて真宗大学第2代学監に就任(~1911年)、その後も京都に戻った同大学(のちに真宗大谷大学、大谷大学と改称)の学長を1914年 - 1923年にわたって務め、学長在任は通算18年近くに及んだ。この間、所属する真宗大谷派において学事体制の整備に尽瘁しつつ、仏教学・東洋学の学界において近代的な仏教研究の必要性を説き、その教育・普及に勉めた。また各地・各方面において行なった活発な講話や執筆活動は、いずれも深い学識と信仰に裏打ちされ、多くの人を惹きつけた。
南条と笠原の伝記は前嶋信次『インド学の曙』前半にある(世界聖典刊行協会)
主要な著書
- Chinese Translation of Buddhist Tripitaka, the Sacred Canon of the Buddhist in China(1883年)(Nanjo-Catalogと称される)
- 『修養録』井冽堂 1906年
- 『感想録』井冽堂 1906年
- 『忘己録』山中孝之助 1907年
- 『歎異鈔講話』浩々洞出版部 1907年
- 『静思録』井冽堂 1908年
- 『安心録』文成社 1912年
- 『向上論』東亜堂書房 1914年
- 『通俗仏教講話』中央書院 1914年
- 『道の話』丁未出版社 1914年
- 『同情の力』弘文館書店 1915年
- 『進むべき道』大阪屋号書店 1917年
- 『仏教人生観』中央出版社 1917年
- 『南条文雄自叙伝』沈石山房 1924年
- 『伝記・南条文雄』復刻伝記叢書・大空社、1993年
- 『仏教より観たる人の一生』中央出版社 1925年
- 『懐旧録』大雄閣 1927年
- 『懐旧録 サンスクリット事始め』平凡社東洋文庫 1979年
- 『信念の発揮』忠誠堂 1927年
- 『心の安住菩提心を求むる道』中央出版社 1928年
- 『南条先生遺芳』南条先生遺芳刊行会編、1942年
- 『南條文雄著作選集』全10巻 佐々木教悟・長崎法潤・木村宣彰監修・編 うしお書店 2001年 - 2003年
共編著
- 岩崎行親、フランシス・ブリンクリーと共編「和英大辞典」三省堂(1896年)
- 笠原遺文集(編)(1899年)
- 『仏教聖典』前田慧雲共編 三省堂 1905年
- 『六法礼経四訳対照(編)(1913年)
- 大明三蔵聖教目録(編)(1929年)
翻訳
- フリードリヒ・マックス・ミュラー『比較宗教学』博文館、1907年
- 梵文和訳仏説無量寿経:支那五訳対照;梵文和訳仏説阿弥陀経:支那二訳対照 1908年
- 『梵文入楞伽経 邦訳』泉芳璟共訳 南条先生古稀記念祝賀会 1927年
- 『新訳法華経 梵漢対照』泉芳璟共訳 真宗大谷大学尋源会出版部 1913年
脚注[
関連項目
先代清沢満之 | 真宗大学2代学監:1903-1911 学長:1914-1923 |
次代佐々木月樵 |