渓嵐拾葉集(読み)けいらんしゅうようしゅう
大辞林 第三版の解説
けいらんしゅうようしゅう【渓嵐拾葉集】
仏書。光宗著。三〇〇巻のうち現存一一六巻。1311年から47年までの間の筆録。天台宗の伝承のほか、政治・経済・文化など、多方面の知識を記録。
出典 三省堂大辞林 第三版
世界大百科事典 第2版の解説
けいらんしゅうようしゅう【渓嵐拾葉集】
鎌倉時代末の仏教書。もとは300巻あったと伝えられるが,現存113巻。比叡山西塔北谷の別所黒谷にいた光宗(1276‐1350)の著で,1318年(文保2)6月の自序がある。貴族社会を背景に繁栄した顕密の大寺院では,仏事・法会がさかんに催され,その次第を書きとどめた無数の資料が残された。また教理の研修に際して作られた筆録や聞書も,膨大なものであった。本書は,《阿娑縛抄(あさばしよう)》 《覚禅抄》と並ぶ,中世の仏教教学集成の代表的な書である。
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精選版 日本国語大辞典の解説
けいらん しゅう よう しゅう ケイランシフエフシフ【渓嵐拾葉集】
天台宗の僧光宗(一二七六‐一三五〇)の著。一一六巻。文保二年(一三一八)序。天台の故事、口伝を集輯し、自己の思想や先輩の諸説を整理したもの。
光宗(読み)こうしゅう
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
光宗 こうしゅう
1276-1350 鎌倉-南北朝時代の僧。
建治(けんじ)2年生まれ。比叡(ひえい)山の興円にまなぶ。のち同山の澄豪(ちょうごう)に穴太(あのう)流の天台密教をまなび,同門の恵鎮(えちん)とともに黒谷流をひらいた。観応(かんのう)元=正平(しょうへい)5年10月12日死去。75歳。法名ははじめ道光。著作に「渓嵐拾葉集」など。
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朝日日本歴史人物事典の解説
光宗
没年:観応1/正平5.10.12(1350.11.12)
生年:建治2(1276)
鎌倉後期・南北朝時代の天台宗の学僧,道宗とも称す。延慶2(1309)年比叡山に登って東谷神蔵寺で興円,恵鎮から顕密を学び,義源から神明灌頂を受け,華厳,三論,法相,倶舎,禅,浄土を学んだ。旺盛な知識欲の持ち主で,医法,歌道,兵法,術法,算道にも通じた。光宗の編著にかかる『渓嵐拾葉集』は,神蔵寺,黒谷青竜寺,洛東元応寺,金山院,江州(滋賀県)阿弥陀寺,霊山寺,坂本息障院を転々としながら,応長1(1311)年から貞和4(1348)年まで書き継いだものである。内容は顕密戒禅の秘事口伝や行事,作法を記録したもので,全体は密教的神仏習合説で覆われているが,説話,伝承を含む豊富な内容によって中世研究の資料として重視されている。晩年は息障院に住んだ。<参考文献>平泉澄「『渓嵐拾葉集』と中世の仏教思想」(『史学雑誌』37巻6号),硲慈弘『日本天台の展開とその基調』
(西口順子)
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世界大百科事典内の光宗の言及
【澄豪】より
…《総持抄》ほか台密の著作は多い。弟子に永慶,豪鎮,恵鎮らがあり,門流から《渓嵐拾葉(けいらんしゆうよう)集》の著者として知られる黒谷の光宗(こうしゆう)が出ている。【西口 順子】。…
【渓嵐拾葉集】より
…もとは300巻あったと伝えられるが,現存113巻。比叡山西塔北谷の別所黒谷にいた光宗(1276‐1350)の著で,1318年(文保2)6月の自序がある。貴族社会を背景に繁栄した顕密の大寺院では,仏事・法会がさかんに催され,その次第を書きとどめた無数の資料が残された。…
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阿娑縛抄(読み)あさばしょう
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
阿娑縛抄
あさばしょう
天台密教の諸尊法,経法に関する儀軌,口伝や図像をはじめ,修法の記録や諸寺略記などを収録した台密では唯一の図像集。 228巻あるいは 227巻。承澄 (1205~82) ,一説には尊澄によって撰述され,広く天台,真言両密教の図像集を参照して,文永 12 (75) 年頃までに大要が成立,その後も増補が行われた。
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デジタル大辞泉の解説
あさばしょう〔アサバセウ〕【阿娑縛抄】
台密における教相や事相を集大成した図像集。227巻、または233巻。小川承澄の編で建治元年(1275)完成とも、門下の尊澄の編で正元元年(1259)完成ともいわれる。二百巻抄。
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世界大百科事典 第2版の解説
あさばしょう【阿娑縛抄】
鎌倉中期の仏教書。比叡山の僧極楽房承澄の編。228巻。30余年をかけて1275年(建治1)に完成し,その後も補訂が加えられた。密教の灌頂(かんぢよう)や種々の行法に関する作法は,平安時代末から複雑に分化し,数々の流派による秘伝が生まれた。小川僧正と呼ばれた承澄は,覚審,忠快らに学び,台密諸流の学説・口伝を集めて部門ごとに整理して本書を作り,台密の教学と作法を集大成した。阿,娑,縛の3字はそれぞれに胎蔵界の仏部,蓮華部,金剛部を示す種子(しゆじ)で,胎蔵界のいっさいを示している。
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大辞林 第三版の解説
あさばしょう【阿娑縛抄】
鎌倉時代の仏書。極楽房承澄しようちようの撰。二二八巻。1275年完成。台密の教学と作法を集大成したもの。灌頂かんじよう道場・仏具類・尊像・曼荼羅まんだらなどの図が多数含まれ、図像集として名高い。
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精選版 日本国語大辞典の解説
あさばしょう アサバセウ【阿娑縛抄】
台密における教相、事相を集大成した、一種の図像集。二二八巻。承澄の著。仁治三~弘安四年(一二四二‐八一)頃に完成した。阿抄。二百巻抄。
覚禅抄(読み)かくぜんしょう
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
覚禅抄
かくぜんしょう
真言密教僧の覚禅が建保5 (1217) 年頃に抄記した 128巻に及ぶ図像抄。台密の『阿娑縛抄』に対し,東密の密教図像研究の基本的資料。『百巻抄』『浄土院抄』などともいう。
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世界大百科事典 第2版の解説
かくぜんしょう【覚禅抄】
鎌倉初期の仏教書。真言宗の諸経法,諸尊法,灌頂などの作法に関する研究書。著者の金胎房覚禅は,勧修寺の興然,醍醐寺の勝賢などに師事した博学多聞の僧で,絵に巧みであった。鎌倉時代の前期は,密教の行法に関する知識の集成がさかんであったが,覚禅は数十年をかけて諸師の口伝を集め,膨大な典籍を調査して100余巻の書を著した。《覚禅抄》は広く《百巻抄》の名で知られたが,現存するものは120余巻で,巻数や写本による異同などの正確なことはわかっていない。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
覚禅抄
かくぜんしょう
鎌倉時代の仏教書。覚禅(1143―?)撰述(せんじゅつ)。覚禅は字(あざな)を金胎房(こんたいぼう)、嵯峨阿闍梨(さがあじゃり)ともいわれた僧侶(そうりょ)で、仁和寺(にんなじ)をはじめ多くの密教の名師について学んだ。本書は、1176年(安元2)から1213年(建暦3)の約37年間に、勧修寺(かじゅうじ)、高野山(こうやさん)、醍醐寺(だいごじ)などの古記録を渉猟し、仏典や儀軌をはじめ修法について記述したもので、全100巻、ために『百巻抄』ともよばれている。とくに貴重なのは、392葉の図像を仏・観音(かんのん)・文殊(もんじゅ)・菩薩(ぼさつ)など9部に分けて記載していることで、東密関係の仏像研究には欠かせない資料であり、わが国の図像集の白眉(はくび)とされる。[永井信一]
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