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늦봄(만춘 晩春)

VIS VITALIS 2018. 1. 5. 18:17


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Late Spring Japanese Poster.jpg


Late Spring (晩春 Banshun) is a 1949 Japanese drama film, directed by Yasujirō Ozu and produced by the Shochiku studio. It is based on the short novel Father and Daughter (Chichi to musume) by the 20th-century novelist and critic Kazuo Hirotsu, and was adapted for the screen by Ozu and his frequent collaborator, screenwriter Kogo Noda. The film was written and shot during the Allied Powers' Occupation of Japan and was subject to the Occupation's official censorship requirements. It stars Chishū Ryū, who was featured in almost all of the director’s films, and Setsuko Hara, making her first of six appearances in Ozu’s work. It is the first installment of Ozu’s so-called “Noriko trilogy”—the others are Early Summer (Bakushu, 1951) and Tokyo Story (Tokyo Monogatari, 1953)—in each of which Hara portrays a young woman named Noriko, though the three Norikos are distinct, unrelated characters, linked primarily by their status as single women in postwar Japan.[note 1]

Late Spring belongs to the type of Japanese film known as shomingeki, a genre that deals with the ordinary daily lives of working class and middle class people of modern times. The film is frequently regarded as the first in the director’s final creative period, "the major prototype of the [director's] 1950s and 1960s work."[3] These films are characterized by, among other traits, an exclusive focus on stories about families during Japan's immediate postwar era, a tendency towards very simple plots and the use of a generally static camera.[1][4]

Late Spring was released in September 1949 to critical acclaim in the Japanese press. In the following year, it was awarded the prestigious Kinema Junpo critics' award as the best Japanese production released in 1949. In 1972, the film was commercially released in the United States, again to very positive reviews. Late Spring has been referred to as the director's "most perfect" work,[5] as "the definitive film of Ozu's master filmmaking approach and language"[6] and has been called one of the most perfect, most complete, and most successful studies of character ever achieved in Japanese cinema."[1] In the 2012 version of Sight & Sound's decennial poll of "The Greatest Films of All Time", published by the British Film Institute (BFI), Late Spring appears as number 15, behind Ozu's own Tokyo Story at number 3.



晩春』(ばんしゅん)

娘の結婚を巡るホームドラマを小津が初めて描いた作品であり、その後の小津作品のスタイルを決定した。小津が原節子と初めてコンビを組んだ作品でもある。なお、本作および後年の『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶこともある。

原作は、作家の広津和郎熱海に滞在中に書いた小説『父と娘』である。小津は本作以前にもホームドラマを数多く手掛けているが、結婚する娘と父の関係を淡々とした日常の中に描いたのは、本作が初となる。戦後2作目となる前作『風の中の牝雞』(1948年)では、戦後の荒廃した世相を夫婦の危機に反映させた意欲作だったにもかかわらず観客の拒絶にあい、失敗作と認めざるを得なかった小津にとって、一転して娘の結婚をめぐるホームドラマという普遍的な題材は興味を引くものだった。

監督を承諾した小津は、『箱入娘』(1935年)以来14年ぶりにコンビを組む野田高梧と約1年をかけて脚本を執筆し、映画化にのぞんだ。野田とのコンビによる約1年間の脚本共同執筆は、以後、小津の遺作となる『秋刀魚の味』(1962年)まで続くこととなるが、同時に、原節子とのコンビ、笠智衆演じる初老の父親が娘を嫁にやる悲哀など、いわゆる小津映画のスタイルも、すべて本作で初めて確立された。また、ローアングルで切り返す独特な人物ショットの反復や、空舞台と呼ばれる風景カットの挿入などの映像スタイルは、必ずしも本作で初めて採用されたものではないが、以後遺作まで反復される娘の結婚というドラマと連動することによって、その説話的主題を明確にする映像スタイルとして機能することになる。

占領下の日本において、鎌倉京都の日本的な風景や舞台などの日本文化をフィルムに焼きつけ、その中で描かれる余分な要素を一切排除した結婚ドラマは、公開当時、そこに日本的なものの復権を感じ取る観客層と、戦後の現実からの逃避とみなす観客層の二つに分かれ、評価は賛否両論となった。しかし、あえて普遍的な人間ドラマをありのままに描こうとする小津の姿勢は、後にテレビ時代に入って本格化するホームドラマの製作スタイルに多大な影響を与えることとなった。一方、映画で語られる人間の感情を描ききるためには映画文法を踏み外すことも辞さない小津の姿勢や、感情を映像化しようとするスタイルは、後に世界中の映画評論家やファンの議論の的となり、小津作品の中でも今なお最も語られることの多い一本である。

本作は、リンゴの皮を剥いていた父親がうなだれるシーンで終わるが、当初小津は父親役の笠智衆に「皮を剥き終えたら慟哭するように」と指示を出していた。大仰な演技を嫌っていた小津からそのような要求を受けたことに驚いた笠は「それはできない」と答え、小津も無理にやらせようとはしなかったため変更になった。小津の指示通りに演技をしていた笠が、唯一小津に異を唱えたのがこのシーンである。笠は後に、小津自身も迷っていたのかもしれず、また自分にそういう演技はできないことを小津も分かっていだのだろうとした上で「できるできないは別にして、とにかくやってみるべきだった。監督に言われたことはどんなことでもやるのが俳優の仕事」と語っている[1]

劇中の能の演目は小津が能楽師金春惣右衛門に相談し、本作が恋物語であることから、金春が『杜若』を提案し、採用された。『杜若』はカキツバタの精の話で、『伊勢物語』第九段に出てくる在原業平のカキツバタの和歌(遠く都に置いてきた妻を想う歌)を下敷きにしたもの。クレジットには「杜若 戀之舞」とあるが、「戀之舞」の部分は編集時にカットされた。シテを演じているのは梅若万三郎



晩春

Late Spring

[小津安二郎・1949]

■ 作品情報 ■
映画の舞台とロケ地
 

主な舞台は、映画が作られた1949年ごろの鎌倉(神奈川県鎌倉市)。鎌倉は、主人公の曾宮周吉(笠智衆)と娘の紀子(原節子)が住んでいるところである。鎌倉のほかには、東京(東京都)や京都(京都府京都市)も登場する。東京には周吉の職場や周吉の妹・田口マサ(杉村春子)の家、紀子の友人・北川アヤ(月丘夢路)の家があり、買い物などに出かける身近な都会でもある。京都は、周吉の友人・小野寺譲(三島雅夫)が住んでいるところで、紀子の縁談が決まった後、周吉と紀子は小野寺を訪ねて京都旅行をする。

鎌倉での主要な舞台は曾宮家である。最寄り駅は鎌倉駅のようだが所在地は不明で、家の前の路地のみがロケーション撮影である。鎌倉でロケーション撮影されている場所では、マサががま口を拾う鶴岡八幡宮が印象に残る。

京都での主要な舞台は周吉と紀子が滞在する旅館だが、これはセットである。ロケーションでは、八坂の塔清水寺竜安寺と、かなりメジャーな場所ばかりが登場している。

 
ロケ地紹介
 
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