妙好人 新臧
부젠(豊前) 지역의 신조(新臧)라는 묘호인(妙好人)
一〇一 妙好人新藏
雲溪云く、
豊前の国宿見村に新藏といふ後世者あり、ある時、三四人より集まり評して云く「新藏は後世者故へ、さらに立腹する事なし」、一人云く「然らず、立腹する程のことを為かければ立腹もすべし」と。互に論じけり。
一人云く「然らば、これより彼の家に到りて立腹さすべし、いざ来られよ」と、相つれだちて、餘人は門外に待たせ置き、悪人一人内に入れり。新藏爐邊(ろへん)にあり、妻は庭に居りたり。悪人、家に入て新藏をののしり、その方、仏教信者といふは僞也とて、土足にて新藏を庭へおとしけり。
新藏は「これは、あらき事をなさるるかな、この方へ来る同行は、多く左樣には致さぬが、御意見はありがたし。お足をも洗ひ下され、篤と御異見下されよ」とて、妻に湯をわかさせ、足をすすがせ、又た御同道もあらば、入らせられよとて、皆々足をすすがせて、御馳走して、少しも立腹の氣色なければ、悪人も感心して、我あやまりを述べ、法義話になり、終に後世の道に入れり。逆縁(ぎやくゑん)空しからず、有難しと也。又同ぐ新藏、長くわづらひて、髪もそらず、角力の席に見物に行きけり。角力のかかりのもの、穢多(ゑた)入り来れりとて打擲(てうちやく)しけり。新藏、打にかへり、妻に云ふ、「さてさて難有や、我はまだ信は得ぬと思ひしに、今日は得た(穢多)得たと申されけり」とてよろこびぬ。 又云く、西国に後世者なれども、大困窮(こんきゅう)の人あり、主人田にゆけり、家内畫飯をもち行かんとすれども、米泣くほかに行ても、ととのはず、せんかたなく帰るさ、寺に立ちよりて仏法の話をきき晩景に及べり。かくて家に帰り、夫に對して寺にたちより御法の餘りに難有くして、畫飯を持参することを忘れしことを謝す。主人云く「その方は運よし、我は畫飯を持来らぬ故へ、一日腹を立て罪を造れり、仕合よきはその方也、いざ、我にも、その御法をきかせて呉れよ」とて、段(だん)々とききけり。 又云く、西国に小寺あり、住持(じゅうじ)は轉派の事にて江戸に参りて十年程居けり。留主中に母死す、若き娘両人寺を守りけり。ある時、娘は火を離れて仕事するに、汝はなぜ精出さぬぞと云ひければ、その時、下女云く、「つめたひ故へ火にあたる、ねむたければねる、いたくな責めぞ」といひける。娘仏前に参り、云く「ああ。我は何たる仕合せあしきもの哉、父は遠国に行き、母は死し、下女にさへあなどらるる事の悲しさよ。とても此世はかくの如く仕合あしければ、唯後生を願ふべし」とて、しくしく泣けり。下女至り故を問ふゆえ、かくぞと告げれば、下女云く、我の如き悪女も仏は助け給はんや」と問ふ。娘嬉しくて「淺間敷ものほど弥陀はあはれみて棄て給はずと聽きぬ」といへば、下女もまた後生の道に入りにけり。