48원
1. 設我得佛。國有地獄餓鬼畜生者。不取正覺
2. 設我得佛。國中人天。壽終之後。復更三惡道者。不取正覺
3. 設我得佛。國中人天。不悉眞金色者。不取正覺
4. 設我得佛。國中人天。形色不同有好醜者。不取正覺
5. 設我得佛。國中人天。不悉識宿命。下至知百千億那由他諸劫事者。不取正覺
6. 設我得佛。國中人天。不得天眼。下至見百千億那由他諸佛國者。不取正覺
7. 設我得佛。國中人天。不得天耳。下至聞百千億那由他諸佛所説。不悉受持者。不取正覺
8. 設我得佛。國中人天。不得見他心智。下至知百千億那由他諸佛國中衆生心念者。不取正覺
9. 設我得佛。國中人天。不得神足。於一念頃下至不能超過百千億那由他諸佛國者。不取正覺
10. 設我得佛。國中人天。若起想念貪計身者。不取正覺
11. 設我得佛。國中人天。不住定聚。必至滅度者。不取正覺
12.設我得佛。光明有能限量。下至不照百千億那由他諸佛國者。不取正覺
13.設我得佛。壽命有能限量。下至百千億那由他劫者。不取正覺
14.設我得佛。國中聲聞有能計量。乃至三千大千世界衆生縁覺。於百千劫悉共計挍知其數者。不取正覺
15.設我得佛。國中人天。壽命無能限量。除其本願脩短自在。若不爾者不取正覺
16.設我得佛。國中人天。乃至聞有不善名者。不取正覺
17.設我得佛。十方世界無量諸佛。不悉諮嗟稱我名者。不取正覺
18.設我得佛。十方衆生, 至心信樂。欲生我國, 乃至十念。若不生者, 不取正覺。唯除五逆誹謗正法
19.設我得佛。十方衆生, 發菩提心, 修諸功徳。至心發願, 欲生我國。臨壽終時。假令不與大衆圍遶現其人前者。不取正覺
20.設我得佛。十方衆生, 聞我名號。係念我國, 殖諸徳本。至心迴向, 欲生我國。不果遂者。不取正覺
21.設我得佛。國中人天。不悉成滿三十二大人相者。不取正覺
22.設我得佛。他方佛土諸菩薩衆來生我國。究竟必至一生補處。除其本願自在所化。爲衆生故被弘誓鎧。積累徳本度脱一切。遊諸佛國修菩薩行。供養十方諸佛如來。開化恒沙無量衆生。使立無上正眞之道。超出常倫。諸地之行。現前修習普賢之徳。若不爾者 不取正覺
23.設我得佛。國中菩薩。承佛神力供養諸佛。一食之頃不能遍至無量無數億那由他諸佛國者。不取正覺
24.設我得佛。國中菩薩。在諸佛前現其徳本。諸所求欲供養之具。若不如意者。不取正覺
25.設我得佛。國中菩薩不能演説一切智者。不取正覺
26.設我得佛。國中菩薩不得金剛那羅延身者。不取正覺
27.設我得佛。國中人天。一切萬物嚴淨光麗。形色殊特窮微極妙無能稱量。其諸衆生。乃至逮得天眼。有能明了辨其名數者。不取正覺
28.設我得佛。國中菩薩。乃至少功徳者。不能知見其道場樹無量光色高四百萬里者。不取正覺
29.設我得佛。國中菩薩。若受讀經法諷誦持説。而不得辯才智慧者。不取正覺
30.設我得佛。國中菩薩。智慧辯才若可限量者。不取正覺
31.設我得佛。國土清淨。皆悉照見十方一切無量無數不可思議諸佛世界。猶如明鏡覩其面像。若不爾者。不取正覺
32.設我得佛。自地以上至于虚空。宮殿樓觀池流華樹。國土所有一切萬物。皆以無量雜寶百千種香而共合成。嚴飾奇妙超諸人天。其香普薫十方世界。菩薩聞者皆修佛行。若不爾者。不取正覺
33.設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界衆生之類。蒙我光明觸其體者。身心柔軟超過人天。若不爾者。不取正覺
34.設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界衆生之類。聞我名字。不得菩薩無生法忍諸深總持者。不取正覺
35.設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界。其有女人聞我名字。歡喜信樂發菩提心厭惡女身。壽終之後復爲女像者。不取正覺
36.設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界諸菩薩衆。聞我名字。壽終之後常修梵行至成佛道。若不爾者。不取正覺
37.設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界諸天人民。聞我名。字。五體投地稽首作禮。歡喜信樂修菩薩行。諸天世人莫不致敬。若不爾者。不取正覺
38.設我得佛。國中人天。欲得衣服隨念即至。如佛所讃應法妙服自然在身。若有裁縫染治浣濯者。不取正覺
39.設我得佛。國中人天。所受快樂。不如漏盡比丘者。不取正覺
40.設我得佛。國中菩薩。隨意欲見十方無量嚴淨佛土。應時如願。於寶樹中皆悉照見。猶如明鏡覩其面像。若不爾者。不取正覺
41.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字至于得佛。諸根缺陋不具足者。不取正覺
42.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字皆悉逮得清淨解脱三昧。住是三昧一發意頃。供養無量不可思議諸佛世尊。而不失定意。若不爾者。不取正覺
43.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字。壽終之後生尊貴家。若不爾者。不取正覺
44.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字歡喜踊躍。修菩薩行具足徳本。若不爾者。不取正覺
45.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字。皆悉逮得普等三昧。住是三昧。至于成佛。常見無量不可思議一切如來。若不爾者。不取正覺
46.設我得佛。國中菩薩。隨其志願所欲聞法自然得聞。若不爾者。不取正覺
47.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字。不即得至不退轉者。不取正覺
48.設我得佛。他方國土諸菩薩衆。聞我名字。不即得至第一第二第三法忍。於諸佛法不能即得不退轉者。不取正覺
【經文資訊】嘉興藏第 32 冊 No. B277 雲棲法彙(選錄)(第1卷-第11卷)
古杭 雲棲寺 沙門 [祩>袾]宏 訂輯
《雲棲法彙(選錄)(第1卷-第11卷)》卷2:
명나라 운서 주굉
「○無量壽經四十八願(即古本大彌陀經)
設我得佛。國有地獄餓鬼畜生者。不取正覺。
(第一願△國中無三惡道)。
設我得佛。國中天人。壽終之後。復更三惡道者。不取正覺。
(第二願△不復更生惡道)。
設我得佛。國中天人。不悉真金色者。不取正覺。
(第三願△各得真金色身)。
設我得佛。國中天人。形色不同有好醜者。不取正覺。
(第四願△形色無有好醜)。
設我得佛。國中天人。不識宿命。下至知百千億那由他諸劫事者。不取正覺。
(第五願△生者皆得宿命)。
設我得佛。國中天人。不得天眼。下至見百千億那由他諸佛國者。不取正覺。
(第六願△皆得天眼徹視)。
設我得佛。國中天人。不得天耳。下至聞百千億那由他諸佛所說。不得受持者。不取正覺。
(第七願△皆得天耳徹聽)。
設我得佛。國中天人。不得見他心智。下至知百千億那由他諸佛國中。眾生心念者。不取正覺。
(第八願△皆得知他心念)。
設我得佛。國中天人。不得神足。於一念頃。下至不能超過。百千億那由他。諸佛國者。不取正覺。
(第九願△皆得神足飛行)。
設我得佛。國中天人。若起想念貪計身者。不取正覺。
(第十願△不起貪計身見)。
設我得佛。國中天人。不住定聚。必至滅度者。不取正覺。
(第十一願△正定必至涅槃)。
設我得佛。光明有限量。下至不照百千億那由他諸佛國者。不取正覺。
(第十二願△光明遍照十方)。
設我得佛。壽命有限量。下至百千億那由他劫者。不取正覺。
(第十三願△壽命同佛永久)。
設我得佛。國中聲聞。有能計量。乃至三千大千世界眾生悉成緣覺。於百千劫。悉共計較。知其數者。不取正覺。
(第十四願△聲聞廣多無量)。
設我得佛。國中天人。壽命無能限量。除其本願。修短自在。若不爾者。不取正覺。
(第十五願△壽命修短隨意)。
設我得佛。國中天人。乃至聞有不善名者。不取正覺。
(第十六願△國中無不善名)。
設我得佛。十方世界。無量諸佛。不悉咨嗟稱我名者。不取正覺。
(第十七願△諸佛稱名讚嘆)。
設我得佛。十方眾生。至心信樂。欲生我國。乃至十念。若不生者。不取正覺。唯除五逆誹謗正法。
(第十八願△十念皆生我國)。
設我得佛。十方眾生。發菩提心。修諸功德。至心發願。欲生我國。臨壽終時。假令不與大眾圍遶現其人前者。不取正覺。
(第十九願△勤修我皆接引)。
設我得佛。十方眾生。聞我名號。繫念我國。植種德本。至心迴向欲生我國。不果遂者。不取正覺。
(第二十願△繫念必得往生)。
設我得佛。國中天人。不悉成滿三十二大人相者。不取正覺。
(第二十一願△各具三十二相)。
設我得佛。他方佛土。諸菩薩眾。來生我國。究竟必至一生補處。除其本願自在所化。為眾生故。被弘誓鎧積累德本度脫一切。遊諸佛國。修菩薩行。供養十方。諸佛如來。開化恒沙無量眾生。使立無上。正真之道。超出常倫諸地之行。現前修習普賢之德。若不爾者。不取正覺。
(第二十二願△菩薩一生補處)。
設我得佛。國中菩薩。承佛神力。供養諸佛。一食之頃不能遍至無數無量億那由他諸佛國者。不取正覺。
(第二十三願△一時普供諸佛)。
設我得佛。國中菩薩。在諸佛前。現其德本。諸所求欲。供養之具。若不如意者。不取正覺。
(第二十四願△供具自皆如意)。
設我得佛。國中菩薩。不能演說一切智者。不取正覺。
(第二十五願△菩薩演一切智)。
設我得佛。國中菩薩。不得金剛那羅延身者。不取正覺。
(第二十六願△菩薩得金剛身)。
設我得佛。國中天人。一切萬物嚴淨光麗形色殊[持>特]。窮微極妙。無能稱量。其諸眾生。乃至逮得天眼。有能明了。辨其名數者。不取正覺。
(第二十七願△萬物悉皆殊[持>特])。
設我得佛。國中菩薩。乃至少功德者。不能知見其道場樹。無量光色。高四百萬里者。不取正覺。
(第二十八願△菩薩道樹普見)。
設我得佛。國中菩薩。若受讀經法。諷誦持說。而不得辯才智慧者。不取正覺。
(第二十九願△受經普得智辯)。
設我得佛。國中菩薩。智慧辯才。若可限量者。不取正覺。
(第三十願△智辯無有限量)。
設我得佛。國土清淨。皆悉照見十方一切。無量無數不可思議諸佛世界。猶如明鏡。睹其面像。若不爾者。不取正覺。
(第三十一願△淨國照見十方)。
設我得佛。自地以上。至於虛空宮殿樓觀。池流華樹。國土所有一切萬物。皆以無量雜寶。百千種香而共合成。嚴飾奇妙。超諸天人。其香普熏十方世界。菩薩聞者。皆修佛行。若不如是。不取正覺。
(第三十二願△嚴飾超諸天人)。
設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界。眾生之類蒙我光明。觸其身者。身心柔軟。超過天人。若不爾者。不取正覺。
(第三十三願△蒙光觸身獲益)。
設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界。眾生之類。聞我名字。不得菩薩無生法忍。諸深總持者。不取正覺。
(第三十四願△皆得法忍總持)。
設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界。其有女人聞我名字。歡喜信樂。發菩提心。厭惡女身。壽終之後復為女像者。不取正覺。
(第三十五願△信樂永離女身)。
設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界。諸菩薩眾聞我名字。壽終之後。常修梵行。至成佛道。若不爾者。不取正覺。
(第三十六願△勤修必成佛道)。
設我得佛。十方無量不可思議諸佛世界。諸天人民聞我名字。五體投地。稽首作禮。歡喜信樂。修菩薩行。諸天世人。莫不致敬。若不爾者。不取正覺。
(第三十七願△歸依感動天人)。
設我得佛。國中天人。欲得衣服。隨念即至。如佛所讚應法妙服自然在身。有求裁縫擣染浣濯者。不取正覺。
(第三十八願△妙服自然在身)。
設我得佛。國中天人。所受快樂。不如漏盡比丘者。不取正覺。
(第三十九願△受樂同於漏盡)。
設我得佛。國中菩薩。隨意欲見十方無量嚴淨佛土應時如願。於寶樹中皆悉照見。猶如明鏡。睹見其面像。若不爾者。不取正覺。
(第四十願△隨意見諸佛國)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。至于得佛諸根缺陋。不具足者。不取正覺。
(第四十一願△聞名諸根具足)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。皆悉逮得清淨解脫三昧。住是三昧。一發意頃。供養無量不可思議。諸佛世尊。而不失定意。若不爾者。不取正覺。
(第四十二願△悉得清淨解脫)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。壽終之後生尊貴家。若不爾者。不取正覺。
(第四十三願△聞名[主>生]處尊貴)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。歡喜踊躍修菩薩行。具足德本。若不爾者。不取正覺。
(第四十四願△修行具足德本)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。皆悉逮得普等三昧。住是三昧。至于成佛。常見無量不可思議一切諸佛。若不爾者。不取正覺。
(第四十五願△皆得三昧見佛)。
設我得佛。國中菩薩。隨其志願。所欲聞法自然得聞。若不爾者。不取正覺。
(第四十六願△自然得聞妙法)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。不即得至不退轉者。不取正覺。
(第四十七願△即得不退轉地)。
設我得佛。他方國土。諸菩薩眾。聞我名字。不即得至第一忍第二第三法忍。于諸佛法。不能即得不退轉者。不取正覺。
(第四十八願△即得諸忍究竟)。
世傳大彌陀經。龍舒王居士會四譯經文而成之者也。四譯者。初譯於漢迦婁支讖曰無量平等清淨覺經。次譯於曹魏康僧愷曰無量壽經。次譯於吳支謙曰阿彌陀經。次譯於宋法賢。曰無量壽莊嚴經。而菩提流志附譯於寶積曰無量壽如來會。則居士所未及者。居士之會四譯也。言簡而義周。辭順而理顯。誠哉大有功於淨土矣。惜其中頗有未安。如四十八願。漢譯止開二十有四。四十八者。肇始於魏譯。而法賢流志二師因之。吳譯從漢亦二十四。然四十八願。今古流通。自應宗祖魏譯。奈何居士敘願。較之魏譯。或前著後。或後著前。次第紊亂。以參三譯。亦各不協。夫譯經必據梵本。居士憑何梵本。而別為次第乎。於理雖似無妨。於譯法大為不順。又魏譯三輩往生皆曰發菩提心。居士乃惟中輩有之。下曰不發。上竟無文。全缺差殊。未審何意。用是重錄魏譯。以付剞劂。庶俾後人知有古文在也。居士神遊淨域身入聖流。殆必成心[巳>已]忘。虛懷不礙。區區效忠之懇。諒其鑒之矣。
○觀普賢菩薩經普賢觀章」(CBETA, J32, no. B277, p. 574, c30-p. 576, b21)
法蔵菩薩の48とおりの願い
(一) わたしが仏になるとき、わたしの国に地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二)わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が命を終えた後、ふたたび地獄や餓鬼や畜生の世界に落ちることがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(三)わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々がすべて金色に輝く身となることがないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(四) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々の姿かたちがまちまちで、美醜があるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(五) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が宿命通を得ず、限りない過去のことまで知り尽すことができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(六)わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が天眼通を得ず、数限りない仏がたの国々を見とおすことができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(七) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が天耳通を得ず、数限りない仏がたの説法を聞きとり、すべて記憶することができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(八) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が他心通を得ず、数限りない仏がたの国々の人の心を知り尽すことができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(九) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が神足通を得ず、またたく間に数限りない仏がたの国々を飛びめぐることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が、いろいろと思いはからい、その身に執着することがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十一) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り、必ずさとりを得ることがないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十二) わたしが仏になるとき、光明に限りがあって、数限りない仏がたの国々を照らさないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十三) わたしが仏になるとき、寿命に限りがあって、はかり知れない遠い未来にでも尽きることがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十四) わたしが仏になるとき、わたしの国の声聞の数に限りがあって、世界中のすべての声聞や縁覚が、長い間、力をあわせて計算して、その数を知ることができるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十五) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々の寿命には限りがないでしょう。ただし、願によってその長さを自由にしたいものは、その限りではありません。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(十六) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が、悪を表す言葉があるとでも耳にするようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十七) わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(十八) わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
(十九) わたしが仏になるとき、すべての人々がさとりを求める心を起して、さまざまな功徳を積み、心からわたしの国に生れたいと願うなら、命を終えようとするとき、わたしが多くの聖者たちとともにその人の前に現れましょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(二十) わたしが仏になるとき、すべての人々がわたしの名を聞いて、この国に思いをめぐらし、さまざまな功徳を積んで、心からその功徳をもってわたしの国に生れたいと願うなら、その願いをきっと果しとげさせましょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(二十一) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々がすべて、仏の身にそなわる三十二種類のすぐれた特徴を欠けることなくそなえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十二) ▼わたしが仏になるとき、他の仏がたの国の菩薩たちがわたしの国に生れてくれば、必ず菩薩の最上の位である一生補処の位に至るでしょう。ただし、その菩薩の願によってはその限りではありま せん。すなわち、人々を自由自在に導くため、固い決意に身を包んで多くの功徳を積み、すべてのものを救い、さまざまな仏がたの国に行って菩薩として修行し、それらすべての仏がたを供養し、ガンジス河の砂の数ほどの限りない人々を導いて、この上ないさとりを得させようとするものは別であって、菩薩の通常の各段階の行を超え出て、その場で限りない慈悲行を実践することもできるのです。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。 ▲
わたしが仏になるとき、他の仏がたの国の菩薩たちがわたしの国に生れてくれば、必ず菩薩の最上の位である一生補処の位に至るでしょう。ただし、願に応じて、人々を自由自在に導くため、固い決意に身を包んで多くの功徳を積み、すべてのものを救い、さまざまな仏がたの国に行って菩薩として修行し、それらすべての仏がたを供養し、ガンジス河の砂の数ほどの限りない人々を導いて、この上ないさとりを得させることもできます。すなわち、通常の菩薩ではなく還相の菩薩として、諸地の徳をすべてそなえ、限りない慈悲行を実践することができるのです。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。 参考
(二十三) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩が、わたしの不可思議な力を受けてさまざまな仏がたを供養するにあたり、一度食事をするほどの短い時間のうちに、それらの数限りない国々に至ることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十四) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩がさまざまな仏がたの前で功徳を積むにあたり、供養のための望みの品を思いのままに得られないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十五) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩がこの上ない智慧について自由に説法することができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十六) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩が金剛力士のような強靭な体を得られないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十七) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々の用いるものがすべて清らかで美しく、形も色も並ぶものがなく、きわめてすぐれていることは、とうていはかり知れないほどでしょう。かりに多くの人々が天眼通を得たとして、そのありさまを明らかに知り尽すことができるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十八) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩で、たとえ功徳の少ないものでも、わたしの国の菩提樹が限りなく光り輝き、四百万里の高さであることを知ることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(二十九) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩が教えを受け、口にとなえて心にたもち、人々に説き聞かせて、心のままに弁舌をふるう智慧を得られないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(三十) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩が心のままに弁舌をふるう智慧に限りがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(三十一) わたしが仏になるとき、国土は清らかであり、ちょうどくもりのない鏡に顔を映すように、すべての数限りない仏がたの世界を照らし出して見ることができるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(三十二) わたしが仏になるとき、大地から天空に至るまで宮殿・楼閣・水の流れ・樹々や美しい花など、わたしの国のすべてのものが、みな数限りない、いろいろな宝とさまざまな香りでできていて、その美しく飾られたようすは天人や人々の世界に超えすぐれ、その香りはすべての世界に広がり、これをかいだ菩薩たちは、みな仏道に励むでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(三十三) わたしが仏になるとき、すべての数限りない仏がたの世界のものたちが、わたしの光明に照らされて、それを身に受けたなら身も心も和らいで、そのようすは天人や人々に超えすぐれるでしょう。 そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(三十四) わたしが仏になるとき、すべての数限りない仏がたの世界のものたちが、わたしの名を聞いて菩薩の無生法忍と、教えを記憶して決して忘れない力を得られないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(三十五) わたしが仏になるとき、すべての数限りない仏がたの世界の女性が、わたしの名を聞いて喜び信じ、さとりを求める心を起し、女性であることをきらったとして、命を終えて後にふたたび女性の身となるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(三十六) わたしが仏になるとき、すべての数限りない仏がたの世界の菩薩たちが、わたしの名を聞いて、命を終えて後に常に清らかな修行をして仏道を成しとげるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(三十七) わたしが仏になるとき、すべての数限りない仏がたの世界の天人や人々が、わたしの名を聞いて、地に伏してうやうやしく礼拝し、喜び信じて菩薩の修行に励むなら、天の神々や世の人々は残らずみな敬うでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(三十八) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が衣服を欲しいと思えば、思いのままにすぐ現れ、仏のお心にかなった尊い衣服をおのずから身につけているでしょう。裁縫や染め直しや洗濯などをしなければならないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(三十九) わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々の受ける楽しみが、すべての煩悩を断ち切った修行僧と同じようでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩が思いのままにすべの数限りない清らかな仏の国々を見たいと思うなら、いつでも願い通り、くもりのない鏡に顔を映すように、宝の樹々の中にそれらをすべて照らし出してはっきりと見ることができるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十一) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞いて、仏になるまでの間、その身に不自由なところがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(四十二) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞けば、残らずみな清浄解脱三昧を得るでしょう。そしてこの三昧に入って、またたく間に数限りない仏がたを供養し、しかも三昧のこころを乱さないでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十三) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちが私の名を聞けば、命を終えて後、人々に尊ばれる家に生れることができるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十四) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞けば、喜びいさんで菩薩の修行に励み、さまざまな功徳を欠けることなく身にそなえるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十五) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞けば、残らずみな普等三昧を得るでしょう。そしてこの三昧に入って、仏になるまでの間、常に数限りないすべての仏がたを見たてまつることができるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十六) わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩は、その願いのままに聞きたいと思う教えをおのずから聞くことができるでしょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。
(四十七) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞いて、ただちに不退転の位にいたることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
(四十八) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞いて、ただちに音響忍・柔順忍・無生法忍を得ることができず、さまざまな仏がたの教えにおいて不退転の位に至ることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
- 第一願
- 願名 - 無三悪趣の願
- 原文 - 設我得佛 國有地獄餓鬼畜生者 不取正覺
- 第二願
- 願名 - 不更悪趣の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 壽終之後 復更三惡道者 不取正覺
- 第三願
- 願名 - 悉皆金色の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不悉眞金色者 不取正覺
- 第四願
- 願名 - 無有好醜の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 形色不同 有好醜者 不取正覺
- 第五願
- 願名 - 宿命智通の願・令識宿命の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不識宿命 下至不知百千億那由他 諸劫事者 不取正覺
- 第六願
- 願名 - 令得天眼の願・天眼智通の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不得天眼 下至不見百千億那由他 諸佛國者 不取正覺
- 第七願
- 願名 - 天耳遥聞の願・天耳智通の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不得天耳 下至聞百千億那由他 諸佛所説 不悉受持者 不取正覺
- 第八願
- 願名 - 他心悉知の願・他心智通の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不得見他心智 下至不知百千億那由他 諸佛國中 聚生心念者 不取正覺
- 第九願
- 願名 - 神足如意の願・神足智通の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不得神足 於一念頃 下至不能超過百千億那由他 諸佛國者 不取正覺
- 第十願
- 願名 - 不貪計心の願・漏尽智通の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 若起想念 貪計身者 不取正覺
- 第十一願
- 願名 - 必至滅度の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覺
- 第十二願
- 願名 - 光明無量の願[3]
- 原文 - 設我得佛 光明有能限量 下至不照百千億那由他 諸佛國者 不取正覺
- 第十三願
- 願名 - 寿命無量の願
- 原文 - 設我得佛 壽命有能限量 下至百千億那由他劫者 不取正覺
- 第十一願の往生浄土する者を必ず成仏せしめるという誓いの後の第十二・十三願であるから、往生浄土したものに具わるべき徳。この第十二・十三願によって真仏土巻が説かれる。
- 第十四願
- 願名 - 声聞無量の願
- 原文 - 設我得佛 國中聲聞 有能計量 下至三千大千世界 聲聞縁覺 於百千劫 悉共計挍 知其數者 不取正覺
- 第十五願
- 願名 - 眷属長寿の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 壽命無能限量 除其本願 脩短自在 若不爾者 不取正覺
- 第十六願
- 願名 - 離諸不善の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 乃至聞有 不善名者 不取正覺
- 第十七願
- 願名 - 諸仏称名の願・諸仏称揚の願・諸仏称讃の願・諸仏咨嗟の願・往相廻向の願・選択称名願・往相正業(略文類)
- 原文 - 設我得佛 十方世界 無量諸佛 不悉咨嗟 稱我名者 不取正覺
- 称讃・称名・咨嗟はともに讃歎の意味であり、名前を称える称名ではない。
- 第十八願
- 願名 - 念仏往生の願・選択本願・本願三心の願・至心信楽の願・往相信心の願
- 原文 - 設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法
- 訓読 - 設(も)し我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)し、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く。 / たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。
- 意訳 - 私が仏となる以上、(誰であれ)あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるならば、(その間、)私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除くこととする。(第十八念仏往生の願)[4]わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国[5]に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。[6]
- 第十九願
- 願名 - 至心発願の願・修諸功徳の願・臨終現前の願・現前導生の願・来迎引接の願・至心発願の願
- 原文 - 設我得佛 十方衆生 發菩提心 修諸功德 至心發願 欲生我國 臨壽終時 假令不與大衆圍繞 現其人前者 不取正覺
- 第二十願
- 願名 - 至心廻向の願・植諸徳本の願・係念定生の願・不果遂者の願・欲生果遂の願
- 原文 - 設我得佛 十方衆生 聞我名號 係念我國 殖諸德本 至心回向 欲生我國 不果遂者 不取正覺
- 果遂について、親鸞は一生果遂の義。この果遂の願のままに、第十九願の仮門から第二十願の真門に入り、第十八願の弘願に転入する三願転入を説く。
- 第二十一願
- 願名 - 具足諸相の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 不悉成滿 三十二大人相者 不取正覺
- 第二十二願
- 願名 - 還相廻向の願・必至補処の願・一生補処の願
- 原文 - 設我得佛 他方佛土 諸菩薩衆 來生我國 究竟必至 一生補處 除其本願 自在所化 爲衆生故 被弘誓鎧 積累德本 度脱一切 遊諸佛國 修菩薩行 供養十方 諸佛如來 開化恆沙 無量衆生 使立無上正眞之道 超出常倫 諸地之行現前 修習普賢之德 若不爾者 不取正覺
- 第二十三願
- 願名 - 供養諸仏の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 承佛神力 供養諸佛 一食之頃 不能徧至 無數無量那由他 諸佛國者 不取正覺
- 第二十四願
- 願名 - 供養如意の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 在諸佛前 現其德本 諸所欲求 供養之具 若不如意者 不取正覺
- 第二十五願
- 願名 - 説一切智の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 不能演説 一切智者 不取正覺
- 一切智によって諸法を演説する。
- 第二十六願
- 願名 - 得金剛身の願・那羅延身の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 不得金剛那羅延身者 不取正覺
- 第二十七願
- 願名 - 万物厳浄の願・所須延身の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 一切万物 嚴淨光麗 形色殊特 窮微極妙 無能稱量 其諸衆生 乃至逮得天眼 有能明了 辯其名數者 不取正覺
- 第二十八願
- 願名 - 道場樹の願・見道場樹の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 乃至少功德者 不能知見 其道場樹 無量光色 高四百万里者 不取正覺
- 第二十九願
- 願名 - 得弁才智の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 若受讀經法 諷誦持説 而不得辯才智慧者 不取正覺
- 第三十願
- 願名 - 弁才無尽の願・智辯無窮の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 智慧辯才 若可限量者 不取正覺
- 第三十一願
- 願名 - 国土清浄の願
- 原文 - 設我得佛 國土清淨 皆悉照見 十方一切 無量無數 不可思議 諸佛世界 猶如明鏡 覩其面像 若不爾者 不取正覺
- 第三十二願
- 願名 - 妙香合成の願・宝香合成の願
- 原文 - 設我得佛 自地已上 至于虚空 宮殿樓觀 池流華樹 國土所有 一切万物 皆以無量雜寶 百千種香 而共合成 嚴飾奇妙 超諸人天 其香普薫 十方世界 菩薩聞者 皆修佛行 若不如是者 不取正覺
- 第三十三願
- 願名 - 触光柔軟の願
- 原文 - 設我得佛 十方無量 不可思議 諸佛世界 衆生之類 蒙我光明 觸其身者 身心柔輭 超過人天 若不爾者 不取正覺
- 第三十四願
- 願名 - 聞名得忍の願
- 原文 - 設我得佛 十方無量 不可思議 諸佛世界 衆生之類 聞我名字 不得菩薩 無生法忍 諸深總持者 不取正覺
- 第三十五願
- 願名 - 女人成仏の願・女人往生の願(法然・大経釈)・変成男子の願(親鸞『浄土和讃』)・転女成男の願、聞名転女の願(存覚『女人往生聞書』)
- 原文 - 設我得佛 十方無量 不可思議 諸佛世界 其有女人 聞我名字 歡喜信樂 發菩提心 厭惡女身 壽終之後 復爲女像者 不取正覺
- 第18願の別願[要出典]。
- 第三十六願
- 願名 - 聞名梵行の願・常修梵行の願
- 原文 - 設我得佛 十方無量 不可思議 諸佛世界 諸菩薩衆 聞我名字 壽終之後 常修梵行 至成佛道 若不爾者 不取正覺
- 第三十七願
- 願名 - 作礼致敬の願・人天致敬の願
- 原文 - 設我得佛 十方無量 不可思議 諸佛世界 諸天人民 聞我名字 五體投地 稽首作禮 歡喜信樂 修菩薩行 諸天世人 莫不致敬 若不爾者 不取正覺
- 第三十八願
- 願名 - 衣服随念の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 欲得衣服 隨念即至 如佛所讚 應法妙服 自然在身 若有裁縫 擣染浣濯者 不取正覺
- 第三十九願
- 願名 - 常受快楽の願・受楽無染の願
- 原文 - 設我得佛 國中人天 所受快樂 不如漏盡比丘者 不取正覺
- 第四十願
- 願名 - 見諸仏土の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 隨意欲見 十方無量 嚴淨佛土 應時如願 於寶樹中 皆悉照見 猶如明鏡 覩其面像 若不爾者 不取正覺
- 第四十一願
- 願名 - 聞名具根の願・諸根具足の願
- 原文 - 設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 至于得佛 諸根闕陋 不具足者 不取正覺
- 第四十二願
- 願名 - 聞名得定の願・住定供仏の願
- 原文 - 設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 皆悉逮得 清淨解脱三昧 住是三昧 一發意頃 供養無量 不可思議 諸佛世尊 而不失定意 若不爾者 不取正覺
- 第四十三願
- 願名 - 聞名生貴の願・生尊貴家の願
- 原文 - 設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 壽終之後 生尊貴家 若不爾者 不取正覺
- 第四十四願
- 願名 - 聞名具徳の願・具足徳本の願
- 原文…設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 歡喜踊躍 修菩薩行 具足德本 若不爾者 不取正覺
- 第四十五願
- 願名 - 聞名見仏の願・住定見仏の願
- 原文 - 設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 皆悉逮得 普等三昧 住是三昧 至于成佛 常見無量 不可思議 一切諸佛 若不爾者 不取正覺
- 第四十六願
- 願名 - 随意聞法の願
- 原文 - 設我得佛 國中菩薩 隨其志願 所欲聞法 自然得聞 若不爾者 不取正覺
- 第四十七願
- 願名 - 聞名不退の願・得不退転の願
- 原文 - 設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 不即得至 不退轉者 不取正覺
- 第四十八願
- 願名 - 得三法忍の願
- 原文 - 設我得佛 他方國土 諸菩薩衆 聞我名字 不即得至 第一第二第三法忍 於諸佛法 不能即得 不退轉者 不取正覺
分類[編集]
慧遠・憬興[編集]
中国の慧遠[要曖昧さ回避]と憬興(きょうごう)は3つに分類している。其々の名と分類は以下の通り。
- 摂法身願・求仏身願 仏が自らの仏身を完成すること…第十二願・第十三願・第十七願
- 摂浄土願・求仏土願 衆生を往生せしめる仏土の完成…第三十一願・第三十二願
- 摂衆生願・利衆生願 正しく衆生の救済を願うもの…その他の43願
親鸞[編集]
親鸞は、「浄土三部経」と七高僧の論釈章疏に依り『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)を著し、「真実」と「方便」を顕かにしている。また、『教行信証』を注釈した存覚の『六要鈔』では「真実というのは、これ仮権に対す」としている。仮権はすなわち「権仮」(ごんけ)である。
真実━教=『大無量寿経』┳往相━┳行━━━━━━諸仏称名の願(第十七願) 浄土真実の行 選択本願の行 ┃ ┃ ┃ ┣信━━━━━━至心信楽の願(第十八願) 正定聚の機 ┃ ┃ ┃ ┣証━━━━━━必至減度の願(第十一願) 難思議往生 ┃ ┃ ┃ ┗真仏土┳━━━光明無量の願(第十二願) ┃ ┃ ┃ ┗━━━寿命無量の願(第十三願) ┃ ┗還相━(証)━━━━━還相廻向の願(第二十二願)⇒『浄土論註』 方便(権仮)━━━━━━━━━━━化身土┳要門━『無量寿仏観経』 至心発願の願(第十九願) 邪定聚機 双樹林下往生 ┃ ┗真門━『阿弥陀経』 至心廻向の願(第二十願) 不定聚機 難思往生
これらの願は、すべて衆生の悲しみ苦しみをすべて観察した上で立てられたものであり、その解決としてある。本当の意味での「苦」の解決は、衆生が仏になることですべて解決されるから、往生浄土の上で仏となることが四十八願のもっとも重要な部分となる。
脚注[編集]
- ^ 法蔵菩薩とは、阿弥陀仏の因位の時(修行時)の名。
- ^ サンスクリット原典は、すべて消失している。現存する物は、写本のみ。
- ^ 漢本から言えば「光明勝過願」。
- ^ 『【現代語訳】浄土三部経』浄土宗総合研究所編、2011年、P.50より引用。
- ^ わたしの国とは、阿弥陀仏の仏国土、つまり極楽浄土のこと。
- ^ 『浄土真宗聖典-浄土三部経』本願寺出版、1996年、P.29より引用。
- ^ 念仏往生之願…第十八願のこと。
- ^ 『教行信証』「信巻」の原文は、SAT DB(大正新脩大藏經テキストデータベース)『顯淨土眞實教行證文類』を参照。
- ^ 『尊号真像銘文』の原文は、SAT DB(大正新脩大藏經テキストデータベース)『尊號眞像銘文』を参照。
- ^ 中村元 『広説佛教語大辞典』上巻 東京書籍 2001年6月 424頁「香」。
参考文献[編集]
- 浄土宗総合研究所 編 『【現代語訳】浄土三部経』 浄土宗出版、2011年。ISBN 978-4-88363-052-3。
- 真宗聖典編纂委員会 編 『真宗聖典』 真宗大谷派宗務所出版部、1978年。ISBN 4-8341-0070-7。
- 浄土真宗教学伝道研究センター 編 『浄土真宗聖典(原典版)』 本願寺出版社、1985年。ISBN 4-89416-251-2。
- 浄土真宗教学伝道研究センター 編 『浄土真宗聖典(註釈版第2版)』 本願寺出版社、2004年。ISBN 4-89416-270-9。
- 中村元・福永光司・田村芳朗・末木文美士・今野 達 編 『岩波仏教辞典 第二版』 岩波書店、1995年。ISBN 4-00-080205-4。
- 河野法雲・雲山龍珠 監修 『真宗辞典』 法藏館、1935年発行、1994年新装。ISBN 4-8318-7012-9。
- 瓜生津隆真・細川行信 編 『真宗小事典』 法藏館、2000年新装版。ISBN 4-8318-7067-6。
- 中村 元・早島鏡正・紀野一義 訳注 『浄土三部経(上)』 岩波書店(岩波文庫 青306-1)、1990年。ISBN 4-00-333061-7。
- 中村 元・早島鏡正・紀野一義 訳注 『浄土三部経(下)』 岩波書店(岩波文庫 青306-2)、1990年。ISBN 4-00-333062-5。
- 浄土真宗教学編集所 浄土真宗聖典編纂委員会 編纂 『<浄土真宗聖典>浄土三部経 -現代語版-』 本願寺出版社、1996年。ISBN 4-89416-601-1。
- 親鸞 著、金子大栄 校訂 『教行信証』 岩波書店(岩波文庫 青318-1)、1957年。ISBN 4-00-333181-8。
- 浄土真宗教学編集所 浄土真宗聖典編纂委員会 編纂 『<浄土真宗聖典>顕浄土真実教行証文類 -現代語版-』 本願寺出版社、2000年。ISBN 4-89416-668-2。
- 池田勇諦 『真と偽と仮』 樹心社、1993年。ISBN 4-7952-2447-1。
- 一楽 真 『四十八願概説-法蔵菩薩の願いに聞く』 文英堂、2009年。ISBN 978-4-89243-711-3。
- 教学研究伝道センター 編纂 『尊号真像銘文-現代語版』 本願寺出版社〈浄土真宗聖典〉、2004年。ISBN 978-4-89416-254-9。