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대사일번. 백천간두진일보, 대사일번절후재소大死一番 絶後再蘇

VIS VITALIS 2022. 1. 4. 13:39

大死一番, 絶後再蘇

 

無一物中無盡藏,有花有月有樓台。

"무일물중무진장(無一物中無盡藏) 유화유월유루대(有花有月有樓台)"

大死一番 絶後再蘇

大死一番 絶後蘇息

蘇息(読み)そそく

〘名〙
① いこい休むこと。また、休息させること。安息
※醍醐寺文書‐延元三年(1338)五月一五日・北畠顕家奏状「苟非二大聖之至仁一者、難レ致二黎民之蘇息一」
※近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房〉四「武備を厳にし内政を整へ生民を蘇息(ソソク)致し」 〔書経伝‐仲虺之誥〕
 生気がよみがえること。息をふきかえすこと。蘇生
三教指帰(797頃)下「則採瓶呪水、普灑面上、食頃、蘇息似酲不言」

蘇息 

 

「百尺竿頭進一歩、大死一番絶後再蘇」

仏教で、今までの自己の一切を投げ捨て、心をむなしくして仏法に徹すること。転じて、一度死んだつもりになって、大いに奮起すること。死んだつもりで、がんばること。

[使用例] 「大死一番乾坤新なり」と独仙君は目くばせをする[夏目漱石*吾輩は猫である|1905~06]

[使用例] 禅で大死一番、一旦死んでみろというのもけだしここの事だろう[長与善郎*竹沢先生と云ふ人|1924~25]

建康普説 (2604) 0723c14-0725a12: 活計耳其黨皆以爲乃是大死一番絶後再蘇底境界得此悟者或處夏制或五 [show] (1 match)
普照國師語録 (2605) 0752a27-0752b16: 闍黎熱時熱殺闍黎苟能大死一番便有大活之時翻轉毫端放大寶光炤徹三 [show] (1 match)
普照國師法語 (2606) 0758a16-0758a24: 都理路明的其心難死不大死一番安有大徹無疑之地 [show] (1 match)

 


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본적선사가 어떤 승을 시험해서 물었다. “날씨가 이렇게 더운데 어느 곳으로 피하는 것이 좋겠는가?” 그러자 승이 대답했다. “확두노탄(鑊頭爐炭)속으로 피해야 합니다.” 본적이 다시 물었다. “그 속으로 어찌 피하겠는가?” 승이 “거기에는 어떤 고통도 도달할 수 없기 때문입니다.”하니 본적선사가 가만히 있었다.

‘날씨가 더우니 어느 곳으로 피하는 것이 좋겠는가?’라는 본적의 물음에 승은 오히려 확두노탄 속으로 피해야 한다고 대답한다. 이 대답은 두 가지 의미로 해석할 수 있다. 우선 확두노탄(鑊頭爐炭)은 극열지옥(極熱地獄)을 가리키므로 ‘극열지옥으로 피하는 것이 좋다’는 대답으로 해석할 수 있다. 어떤 것도 다 불태워 버릴 정도로 뜨거운 극열지옥으로 가서 그곳을 이겨낸다면, 다른 어떤 고통도 문제가 되지 않을 것이다. 이열치열(以熱治熱)이라고도 할까. 극열지옥에서는 더운 날씨쯤이야 쉽게 이겨낼 수 있다. 이 문답을 이렇게 해석하는 경우, 스승인 동산양개의 다음 문답과 취지가 같다.

어떤 스님이 동산양개에게 물었다. “추위와 더위가 닥쳤을 때는 어떻게 피합니까?” 그러자 양개가 답했다. “어째서 춥지도 덥지도 않는 곳으로 가지 않는가?” 이에 스님이 “춥지도 덥지도 않는 곳은 어디입니까?” 물으니 양개가 말했다. “추울 때는 너를 꽁꽁 얼게 하고, 더울 때는 너를 더할 나위 없이 덥게 한다.”[寒時寒殺闍黎, 熱時熱殺闍黎.].>(조당집 읽기 31회 참조)

 

한시한살사려

열시열살사려

[  ]

①제자의 품행을 규정()하는 일을 하거나 일반 승려들에게 덕행을 가르치는 승려를 높여 부르는 말. 본래 범어() Ācārya로서, ‘아사리()’라고 음역()하였는데, ‘사리()’로 줄여서 표기하기도 하며, ‘궤범()’ 또는 ‘정행()’으로도 의역하기도 함.

②고려 시대 귀족의 자제들로서 절에 들어와 승려가 된 아이들을 높여 부르던 말로, 전하여 나이 어린 승려를 가리킴.

[네이버 지식백과] 사리 [闍黎] (한국고전용어사전, 2001. 3. 30., 세종대왕기념사업회)

 

 第41則  趙州大死底人   


垂示:

是非交結の処、聖もまた知ること能わず。

順逆縦横の時、仏もまた弁ずること能わず。

絶世超倫の士となり、逸群大士の能を顕わす。氷凌(こおり)の上を行き、剣刃(やいば)の上を

走(い)くは直下(まさ)に麒麟の頭角(つの)の如く、火の裏(なか)の蓮に似たり。

宛(あたか)も超方を見て、始めて同道なることを知る。

誰かこれ好手(やりて)の者ぞ。

試みに挙す看よ。

注:

氷凌(こおり)の上を行く:危険きわまりない状況を自在に切り抜けることの喩え。

麒麟の頭角(つの):滅多にないものの喩え。

垂示の現代語訳

是と非が入り交わり結ばれて一つになったような処は、

はっきり分別することができない。

善でもなければ悪でもない。そのような処はどんな聖人もはっきり捉え知ることができない。

順と逆の場合でも同じである。

順と逆が縦横入り交わり結ばれて一つになったような時には、

仏でもはっきり弁別することはできない。

ところが同類や仲間を超えた「絶世超倫の士」となれば、

是非を知り、順逆自在となり、「逸群大士」の能力を顕わすことができる。

そのような「絶世超倫の士」や「逸群大士」は、滑り易い氷の角でも平気で歩くことも、

油断すれば足を切るような剣刃(やいば)の上を行くような

常識で考えられない働きも自由にできる。

しかし、実際にそのような傑出した人物は千人に一人、万人に一人、

麒麟の頭角(つの)や火の裏(なか)の蓮の花のように滅多にいるものではない。

更に、四方を超出した超方の人物は殆どいないと言ってよい。

もし、超方の人物に出会って一目でそれと知ることが出来るとしたらそれも大したことである。

そういう知音同志というものは滅多にいない。

さてそのような好手(やりて)の達人と言えるような人物が歴史上いただろうか?

試みに例を挙げるので参究せよ。

本則:

趙州投子に問う、

「大死底の人、却って活する時如何?」。

投子云く、

「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」。

注:

趙州:趙州従シン(778~897)。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン  

投子:投子大同禅師(819~914)。翠微無学禅師の法嗣。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→丹霞天然→翠微無学→投子大同  

大死底の人:一切を捨てて、捨てて捨て果てた人。大死一番の人。

夜行:大死底と同じ。絶対無に安住している状態。

明に投じる:大活する。まっ昼間のように、ハッキリ、ハッキリ、明歴々、露堂々としている。

「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」:絶対無に安住することなく、

まっ昼間のように、ハッキリ、明歴々、露堂々としていないとだめだぞ!

本則:

趙州が投子に聞いた、

「大死底の人が、大死一番からよみがえって大活する時はどうだ?」。

投子は言った、

「死んだの活きただのウサンくさいぞ。この幽霊和尚!

来るなら、夜ではなく真昼間、堂々と大手を振って来い」。

活中に眼あれば 還(ま)た死に同じ

薬忌何ぞ須(もち)いん作家(てだれ)を鑑するを

古仏すらなお言う曽て未だ到らずと

知らず 誰か解(よ)く塵沙を撤くことを

注:

活中に眼あれば 還(ま)た死に同じ:生の根底に徹すれば大死と同じ。

薬忌何ぞ須(もち)いん作家(てだれ)を鑑するを:飲み合わせてはならぬ薬を飲ませて

練達の禅者(投子)を試す必要はない。

作家(てだれ):この場合、投子を指している。

古仏すらなお言う曽て未だ到らずと:投子は「明に投じて須らく到るべし」

と言うが古仏さえそんなことはできない。

解(よ)く塵沙を撤く:向上一路」に沙を撒く。既定の価値に安住することを否定する。

生の根底に徹すれば大死と同じで達人の境涯である。

飲み合わせてはならぬ薬を飲ませて投子和尚のような練達の禅者を試すまでもない。

投子は「明に投じて須らく到るべし」と言うが、古仏さえそんな境地に到ることは難しい。

それでは「向上一路」の悟りの絶対境に目潰しの塵砂を撒いて、悟り臭さ消して

人々を導くことができるような人は一体誰だろうか? 

 悟りの痕跡を消して大死大活の世界に導くことができる人は

趙州や投子のような手だれの禅者以外に考えることはできない

最後の句(第四句)は趙州や投子のような手だれの禅者を讃美している。

解釈とコメント


 

図11. 41則に出る禅師達の法系図

碧巌録41則に出る禅師達の法系を図11に示す。この法系図を見れば分かるように、

投子大同は翠微無学の法嗣である。

六祖慧能から六代の法孫で、臨済と同じ代に当たる。

趙州と投子大同は法系上はかなり離れている。

趙州は臨済禅に近いし、投子大同は曹洞禅に近い人と言えるかも知れない。

2人は法系上かなり離れているので2人の対話は禅における他流試合に近いものがある。

それにも拘わらず、2人の間には息の合った立派な会話が成立している。

我々が想像するほど宗派間や法系間に距離や壁はなく、交流があったと思われる。

この公案は曹洞宗が重視する「従容録」の第63則「趙州問死」と同じである。

「従容録」第63則「趙州問死」を参照)。

 

 

 

  ㄉㄧˇ

  1. 最下面的部分:~层。~座。~下(➊下面;➋以后)。海~。~肥。
  2. 末了:年~。月~。到~。
  3. 根基,基础,留作根据:刨根问~。~蕴。~稿。~版。
  4. 图案的基层:白~蓝花的瓶子。
  5. 何,什么:~事伤感。
  6. 古同“”,达到。

其它字义


 

de  ㄉㄜ

  1. 同“”。

英语

bottom, underneath, underside

德语 Hintergrund (S)​,Basis ,Grund

法语 fond,base,fond d'une affaire,fin,(ancien mot utilisé après un adjectif, un nom, un verbe pour le qualifier)​

© 汉典

 详细解释

详细字义


  de 

(1) “底”在五四时期至三十年代用于领属关系,现已不用

(2) 另见  

基本词义


   

〈动〉

(1) (形声。从广( yǎn),氐(   )声。本义:止住;停滞)

(2) 同本义 [stop]

底,止居也。——《说文》

勿使有壅蔽湫底。——《左传·昭公元年》

(3) 

底禄以德。

有所底止。——《左传·宣公三年》

盟以底信。——《左传·昭公十三年》

戾久将底。——《国语·晋语》

又如:底止(结局);底着(停滞;滞留);底遏(遏止);底滞(滞留)

(4) 隐藏 [hide]

如:底伏(隐伏)

(5) 达到 [arrive]

如:底定(稳定,平定);底豫(由不悦变成欢乐);底平(底定);底成(取得成功)

(6) 引致 [incur]

如:底力(致力;尽力);底服(致使臣服)

(7) 磨砺 [grind]

如:底厉(砥砺。指磨石);底兵(磨砺兵器)

词性变化

   

〈名〉

(1) 最下面,底端 [bottom;base]

底,一曰下也。——《说文》

实惟无底之谷。——《列子·汤问》

则言黄泉之底。——《淮南子·脩务》

清澈见底。——· 袁宏道《满井游记》

全石以为底。——· 柳宗元《至小丘西小石潭记》

如:鞋底;箱底;桶底。引申为下层,下面。如:底下人(仆役);底土层;底冰

(2) 底子;基础 [foundation]

如:底簟(根基,基础);底下书(指学有根底的著作)

(3) 草图、草案、草稿、预备性或试验性的略图或文本 [rough draft]

如:底样

(4) 底细;内情 [the ins and outs (of a matter)]。又如:底里(内幕,内情;详细);底脚(底细;住址);底脚里人儿(内线人物)

(5) 引申为尽头;末尾 [end]

如:年底;月底;底极(终点;终极)

(6) 几何图形的基线或基面 [base]

如:圆锥的底

(7) 文物,史料,以永久性形式保存下来的证据、知识或资料 [record]

如:留个底儿

(8) 构成观察或体验事物的背景的那些自然、物理或物质条件 [background]

如:白底红花

   

〈代〉

(1) 疑问代词。何,什么 [what]

底处飞双燕,衔泥上药栏。——范成大《双燕》

又如:底作(何为,干什么);底事(何事);底物(何物);底处(何处);底许(几许,多少)

(2) 指示代词。此,这 [this]

如:底事(此事)

   

〈副〉

(1) 尽;极 [very]

如:底发(尽量发出);底烦(愁闷之至)

(2) 的确;确实 [certainly]

如:底确(定准)

(3) 另见 de