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개사초改がい邪じゃ鈔しょう

VIS VITALIS 2019. 7. 29. 12:07

がいじゃしょう

 http://www.yamadera.info/seiten/c2/gaijasho.htm


みょう‐ちょう〔ミヤウチヤウ〕【名帳】


1 仏寺で、信者の名簿。檀家帳。また、過去帳のこと。

2 融通念仏宗で、大念仏に加入した者の名を記した帳簿。


(1)

一 *今案こんあん自義じぎをもつて*名帳みょうちょうしょうして、 祖師そしいちりゅうをみだること

 そう祖師そし*黒谷くろだにしょうにん製作せいさく ¬*せんじゃくしゅう¼ (意) にのべらるるがごとく、 「*だいしょうじょう*顕密けんみつしょしゅうにおのおの*師資ししそうじょう*けちみゃくあるがごとく、 いままたじょういっしゅうにおいて、 おなじく師資ししそうじょうけちみゃくあるべし」 と 云々うんぬん。 しかれば、 けちみゃくをたつる肝要かんようは、 おうじょう*じょう*りき*しんぎょう*ぎゃくとくするせつじょうせしめて、 かつは師資ししれいをしらしめ、 かつは*仏恩ぶっとん報尽ほうじんせんがためなり。

かのしんぎょうぎゃくとくせんこと、 *念仏ねんぶつおうじょうがん (第十八願) じょうじゅの 「信心しんじんかんない一念いちねん」 (*大経・下) ともんをもつて*ひょうとす。 このほかいまだきかず。 「そう祖師そし *源空げんくう 祖師そし *親鸞しんらん りょう相伝そうでん*とうきょうにおいて、 名帳みょうちょうごうしてその人数にんじゅをしるすをもつておうじょうじょうなんとし、 仏法ぶっぽうでんしょうとす」 といふことは、 これおそらくは祖師そしいちりゅうしょうたるをや。 ゆめゆめかの*じゃをもつてほうりゅうしょうとすべからざるものなり。

もし 「即得そくとくおうじょうじゅ退転たいてん」 (大経・下) とうきょうもんをもつて*平生へいぜいごうじょうりきしんぎょうぎゃくとくこくをききたがへて、 「名帳みょうちょう*勘録かんろくぶんにあたりておうじょうじょうしょうごうじょうする」 なんど*ばし、 ききあやまれるにやあらん。 ただべつようありて人数にんじゅをしるさば*そのかぎりあり。 しからずして、 念仏ねんぶつしゅぎょうするぎょうじゃみょう*しるさんからに、 このときおうじょうじょうくらい、 あにじょうすべけんや。 このじょう、 ごうするところ、 「黒谷くろだに (源空)本願ほんがん (親鸞) りょうそうじょういちりゅうなり」 と 云々うんぬん

*展転てんでんせつなれば、 もしひとのききあやまれるをや。 ほぼ信用しんようするにたらずといへども、 ことじつならば*仏法ぶっぽうどうか。 祖師そし*あくみょうといひつべし。 もつともおどろきおもひたまふところなり。

いかにぎょうじゃみょうをしるしつけたりといふとも、 *願力がんりき思議しぎぶっさずくる*ぜんしきじつりょうせずんばおうじょう不可ふかなり。 たとひみょうをしるさずといふとも、 *宿しゅくぜん開発かいほつとしてりきおうじょうせつりょうのうせば、 平生へいぜいをいはずりんじゅうろんぜず、 *じょうじゅくらいじゅう*めついたるべきじょう、 *経釈きょうしゃくぶんみょうなり。 このうへになにによりてか経釈きょうしゃくをはなれて*自由じゆ妄説もうせつをさきとして*わたくしの自義じぎ*こっちょうせんや。

おほよそ本願ほんがんしょうにん門弟もんていのうちにおいて*じゅうはい流々りゅうりゅう学者がくしゃたち、 祖師そしでんにあらざるところを禁制きんぜいし、 *自由じゆもうちょうはいあるべきものをや。 なかんづくに、 かの名帳みょうちょうごうするしょにおいて序題じょだいき、 *あまつさへ意解いげをのぶと 云々うんぬん。 かの作者さくしゃにおいてたれのともがらぞや。 おほよそでんにあらざるびゅうせつをもつて祖師そしいちりゅうせつしょうするじょう、 *みょうしゅしょうらんし、 しゃ謗難ぼうなんまねくものか。 おそるべし、 あやぶむべし。

(2)

一 *けいごうして、 おなじく自義じぎをたつるじょう、 いいなきこと

 それ*しょうどうじょうもんについて*しょうしゅっようをたくはふること、 きょうろんしょうしょ明証みょうしょうありといへども、 けんすればかならずあやまるところあるによりて、 *でんごうをもつてさいとす。 これによりて*ごうにをさめて*しゅつようをあきらむること、 しょしゅうのならひ勿論もちろんなり。

いまの*しんしゅうにおいては、 もつぱら*りきをすてて*りきするをもつてしゅうごくとするうへに、 *三業さんごうのなかにはごうをもつてりきのむねをのぶるとき、 ごう*憶念おくねん*みょう*一念いちねんおこれば、 身業しんごう*礼拝らいはいのために、 *渇仰かつごうのあまり*瞻仰さんごうのために、 ぞう木像もくぞう*本尊ほんぞんをあるいはちょうこくしあるいは画図がとす。 しかのみならず、 仏法ぶっぽう*示誨じけ恩徳おんどくれんぎょうそうせんがために、 *三国さんごく伝来でんらい祖師そし先徳せんどく尊像そんぞう図絵ずえあんすること、 これまたつねのことなり。

そのほかは祖師そししょうにん (親鸞) の遺訓ゆいくんとして、 たとひ念仏ねんぶつしゅぎょうごうありといふとも、 「道俗どうぞく男女なんにょぎょうたい面々めんめん各々かくかく図絵ずえしてしょせよ」 といふおんおきて、 いまだきかざるところなり。 しかるにいま祖師そし先徳せんどくのをしへにあらざる自義じぎをもつて諸人しょにんぎょうたいあんじょう、 これ渇仰かつごうのためか、 これれんのためか、 しんなきにあらざるものなり。

本尊ほんぞんなほもつて ¬*かんぎょう¼ 所説しょせつじゅうさん*じょうぜん第八だいはち*像観ぞうかんよりでたる*じょうろくはっしゃくずいげんぎょうぞうをば、 祖師そしあながち*しょようにあらず。 *天親てんじん論主ろんじゅ*礼拝らいはいもん論文ろんもん、 すなはち 「*みょうじん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらい」 をもつてしんしゅう本尊ほんぞんとあがめましましき。 いはんやその*にんぎょうにおいて、 あにかきあがめましますべしや。 末学まつがく自己じこすみやかにこれをちょうすべし。

(3)

一 遁世とんせいのかたちをこととし、 ぎょうをこのみ、 *なしごろもちゃくし、 *くろ袈裟げさをもちゐる、 しかるべからざること

 それ*しゅっほうにおいては*かいしょうし、 ほうにありては*じょうとなづくるじんれいしんをまもりて、 内心ないしんにはりき思議しぎをたもつべきよし、 *師資ししそうじょうしたてまつるところなり。

しかるにいま風聞ふうぶんするところの*ようにおいては、 けんほうをばわすれて仏法ぶっぽうばかりをさきとすべし」 と 云々うんぬん。 これによりて*ほうほうするすがたとおぼしくて、 なしごろもちゃくくろ袈裟げさをもちゐるか、 はなはだしかるべからず。

¬*末法まっぽうとうみょう¼ (意) でんぎょうだいいみな*さいちょう製作せいさく には、 「末法まっぽうには袈裟けさへんじてしろくなるべし」 とみえたり。

しかれば、 *まつ相応そうおう袈裟けさびゃくしきなるべし、 くろ袈裟げさにおいてはおほきにこれにそむけり。 当世とうせい*都鄙とひ流布るふして遁世とんせいしゃごうするは、 ぶん、 *一遍いっぺんぼう*弥陀みだぶつとう門人もんにんをいふか。 かのともがらは、 *むねと*後世ごせしゃしょくをさきとし、 仏法ぶっぽうしゃとみえて威儀いぎ*ひとすがたあらはさんとさだめ、 ふるふか。 わがだいしょうにん (親鸞) のぎょは、 かれに*うしろあはせなり。

つねのごんには、 「われはこれ賀古かこ*きょうしんしゃ このしゃのやう、 禅林ぜんりん*永観ようかんの ¬*じゅういん¼ にみえたり じょうなり」 と 云々うんぬん。 しかれば、 ことを*専修せんじゅ念仏ねんぶつちょうはいのときの*せんちょくせんによせましまして、 *しょには*禿とくをのせらる。 これすなはち*そうにあらずぞくにあらざるひょうして、 きょうしんしゃのごとくなるべしと 云々うんぬん

これによりて、 「たとひ*うし盗人ぬすびととはいはるとも、 もしは善人ぜんにん、 もしは後世ごせしゃ、 もしは仏法ぶっぽうしゃとみゆるやうにふるふべからず」 とおおせあり。 このじょう、 かのなしごろもくろ袈裟げさをまなぶともがらの*ぎょう*雲泥うんでい懸隔けんかくなるものをや。 顕密けんみつしょしゅうだいしょうじょうきょうぼうになほちょうせる弥陀みだりきしゅう心底しんていにたくはへて、 そうにはそのとくをかくしまします。

だいしょうごん*救世くせ観音かんのん再誕さいたん、 本願ほんがん 親鸞しんらん の門弟もんていごうしながら、 うしろあはせにふるひかへたる後世ごせしゃしょく威儀いぎをまなぶじょう、 いかでか祖師そし (親鸞) の*みょうりょにあひかなはんや。 かへすがへすちょうすべきものなり。

(4)

一 弟子でししょうして、 どうぎょう等侶とうりょ*せんのあまり、 放言ほうげん悪口あくこうすること、 いはれなきこと

 *こうみょうだい (*善導) のおんしゃく (*散善義・意) には、 「もし念仏ねんぶつするひとは、 にんちゅう好人こうにんなり、 *みょう好人こうにんなり、 *さいしょうにんなり、 じょうにんなり、 *上上じょうじょうにんなり」 とのたまへり。

しかれば、 そのむねにまかせて、 祖師そし (親鸞) のおおせにも、 「*それがしはまつたく弟子でし一人いちにんももたず。 そのゆゑは、 弥陀みだ本願ほんがんをたもたしむるほかはなにごとををしへてか弟子でしごうせん。 弥陀みだ本願ほんがんぶっりきさずけたまふところなり。 しかれば、 みなともの*どうぎょうなり。 わたくしの弟子でしにあらず」 と 云々うんぬん

これによりてたがひに*ぎょうそうれいをただしくし、 *昵近じっきん芳好ほうこうをなすべしとなり。 そのなくして、 あまつさへ悪口あくこうをはくじょう、 ことごとく祖師そし先徳せんどく遺訓ゆいくんをそむくにあらずや、 しるべし。

(5)

一 どうぎょう*勘発かんぽつのとき、 あるいは寒天かんてん冷水れいすいみかけ、 あるいは*炎旱えんかん*がいきゅうをくはふるらのいはれなきこと

 むかし*えん優婆うばそく*修験しゅげんみちをもつぱらにせし*山林さんりんそうぎょう、 じゅせきじょう坐臥ざが、 これみな*いち一縁いちえん方便ほうべん、 *権者ごんじゃ権門ごんもんなんぎょうなり。 をこのもんるるともがらこそ、 かくのごときのぎょうをばもちゐげにはんべれ。 *さらに*しゅつようにあらず、 ひとへにかいえん*びゃくけんなり。

じょうしんしゅうにおいては、 ちょう希有けうしょうぼう、 諸仏しょぶつ*証誠しょうじょうかい、 りき即得そくとく直道じきどう、 ぼんおうにゅうぎょうなり。 しかるにまつ相応そうおうなんぎょうをまじへて、 当今とうこん相応そうおうりきしゅうぎょうをけがさんこと、 *そうじてはさん諸仏しょぶつみょうおうにそむき、 *べっしてはしゃ弥陀みだそん*矜哀こうあいをわすれたるにたり。 おそるべし、 づべしならくのみ。

(6)

一 *だんかくるとなづけて、 どうぎょう、 しきじゅんのとき、 あがむるところの*本尊ほんぞん聖教しょうぎょううばりたてまつる、 いはれなきこと

 みぎ、 祖師そし 親鸞しんらん しょうにんざいのむかし、 *ある直弟じきてい示誨じけのむねをりょうしたてまつらざるあまり、 *忿結ふんけつしてぜんをしりぞきてすなはち*東関とうかんこくのとき、 *あるじょうずい一人いちにん門弟もんてい、 「このじんさずけらるるところの*聖教しょうぎょう*だいしょうにんみょうをのせられたるあり、 すみやかにめしかへさるべきをや」 と 云々うんぬん

ときに祖師そしおおせにいはく、 「本尊ほんぞん聖教しょうぎょうしゅじょうやく方便ほうべんなり、 わたくしにぼんせんすべきにあらず。 いかでかたやすくけん財宝ざいほうなんどのやうにせめかへしたてまつるべきや。 しゃく親鸞しんらんといふみょうのりたるを、 ªほうにくければ袈裟けささへº のぜいに、 いかなるさんにも*すぐさぬ聖教しょうぎょうをすてたてまつるべきにや。 たとひしかりといふとも親鸞しんらんまつたくいたむところにあらず、 すべからくよろこぶべきにたれり。 そのゆゑはかの聖教しょうぎょうをすてたてまつるところの*じょう蠢蠢しゅんしゅんたぐいにいたるまで、 かれにすくはれたてまつりてかい沈没ちんもつをまぬかるべし。 ゆめゆめこのあるべからざることなり」 とおおせごとありけり。

そのうへは、 末学まつがくとしていかでかしん*こっちょうせんや。 よろしくちょうすべし。

(7)

一 本尊ほんぞんならびに聖教しょうぎょうだいのしたに、 *願主がんしゅみょうをさしおきて、 しきごうするやからのみょうをのせおく、 しかるべからざること

 このじょう、 おなじく前段ぜんだん*篇目さんもくにあひおなじきものか。 だいしょうにん (親鸞) のひつをもつて諸人しょにんあたへわたしまします聖教しょうぎょうをみたてまつるに、 みな願主がんしゅ*あそばされたり。 いまのしんのごとくならば、 *もつともしょうにんみょうをのせらるべきか。 しかるにそのなきうへは、 これまた非義ひぎたるべし。

これをあんずるに、 しき所存しょぞんどうぎょうあひそむかんとき、 「わがみょうをのせたれば」 とて、 せめかへさん*りょうのはかりごとか。 けん財宝ざいほう沙汰さたするにたり。 もつともちょうすべし。

(8)

一 わがどうぎょうひとのどうぎょう*簡別けんべつして、 これを*相論そうろんする、 いはれなきこと

 そう祖師そし 源空げんくう しょうにんの 「*しちじょうしょうもん」 にいはく、 「*じょうろんのところにはもろもろの煩悩ぼんのうおこる。 しゃこれをおんすることひゃく*じゅん、 いはんや一向いっこう念仏ねんぶつぎょうにんにおいてをや」 と 云々うんぬん。 しかれば、 ただ是非ぜひきゅうめいじゃしょう問答もんどうする、 なほもつてかくのごとく厳制げんせいにおよぶ。 いはんや*人倫じんりんをもつて、 もし*ざいるいする所存しょぞんありて相論そうろんせしむるか。 いまだそのこころをえず。

祖師そししょうにん (親鸞) ざいに、 ある直弟じきていのなかにつねにこの沙汰さたありけり。 そのときおおせにいはく、 「けんさい眷属けんぞくもあひしたがふべき*宿しゅくえんあるほどは、 べつせんとすれどもしゃするにあたはず。 宿しゅくえんきぬるときは*したひむつれんとすれどもかなはず。 いはんやしゅっどうぎょう等侶とうりょにおいては、 ぼんちからをもつてしたしむべきにもあらず、 はなるべきにもあらず。 あひともなへといふとも、 えんきぬればえんになる。 したしまじとすれども、 えんきざるほどはあひともなふにたれり。

これみな過去かこ因縁いんねんによることなれば、 こんじょういっのことにあらず。 かつはまた*宿しゅくぜんのあるしょうぼうをのぶる*ぜんしきしたしむべきによりて、 まねかざれどもひとをまよはすまじき*法灯ほうとうにはかならずむつぶべきいはれなり。 宿しゅくぜんなきは、 まねかざれどもおのづから*あくしきにちかづきてぜんしきにはとほざかるべきいはれなれば、 むつびらるるもとほざかるも、 かつはしき*きんもあらはれしられぬべし。 *しょうん、 宿しゅくぜん有無うむも、 もつとも*のうしょともにづべきものをや」 。

しかるにこのことわりにくらきがいたすゆゑか、 *一旦いったんしゅうをさきとして宿しゅくえん有無うむをわすれ、 わがどうぎょうひとのどうぎょう相論そうろんすること、 どんのいたり、 ぶっしょうらんをはばからざるじょう、 ごくつたなきものか、 いかん、 しるべし。

(9)

一 念仏ねんぶつするどうぎょう、 しきにあひしたがはずんば、 そのばつをかうぶるべきよしのしょうもんかしめて、 数箇すかじょう篇目へんもくをたてて連署れんしょごうする、 いはれなきこと

 まづ数箇すかじょうのうち、 しきをはなるべからざるよしのこと

祖師そししょうにん (親鸞) ざいのむかし、 *よりよりかくのごときのをいたすひとありけり。 せいのかぎりにあらざるじょう、 過去かこ宿しゅくえんにまかせられてその沙汰さたなきよし、 先段せんだんにのせをはりぬ。 またさい、 かのだんすべからず。

 つぎに、 本尊ほんぞん聖教しょうぎょううばりたてまつらんとき、 しみたてまつるべからざるよしのこと

またもつて同前どうぜん、 さきにすべからず。

 つぎに、 どうつくらんとき、 をいふべからざるよしのこと

おほよそ*造像ぞうぞうとうとうは、 弥陀みだ本願ほんがんにあらざるしょぎょうなり。 これによりて*一向いっこう専修せんじゅぎょうにん、 これをくわだつべきにあらず。

されば祖師そししょうにんざいのむかし、 ねんごろに*いちりゅう*面授めんじゅけつしたてまつる門弟もんていたち、 堂舎どうしゃ営作えいさくするひとなかりき。 ただ*どうじょうをばすこし*人屋にんおく差別しゃべつあらせて、 むねをあげてつくるべきよしまで*諷諫ふうかんありけり。 ちゅうよりこのかた、 遺訓ゆいくんにとほざかるひとびとのとなりてぞうぼくくわだてにおよぶじょう、 おおせにするいたり、 なげきおもふところなり。

しかれば、 ぞうのとき、 をいふべからざるよしの*たいじょう、 もとよりあるべからざる題目だいもくたるうへは、 これにちなんだる誓文せいもん、 ともにもつてしかるべからず。

 すべてこと数箇すかじょうにおよぶといへども、 へんすべからざるにおいてげんちょうしょうもんどうぎょうかしむること、 かつは祖師そし (親鸞) の遺訓ゆいくんにそむき、 かつは宿しゅくえん有無うむをしらず、 ほう沙汰さたたり。 せんずるところ、 しょうにん (親鸞) 相伝そうでんほうぞんぜんともがら、 これらの今案こんあんこんじてみだりにじゃまよふべからず。 つつしむべし、 おそるべし。

(10)

一 *優婆うばそく*優婆うばぎょうたいたりながらしゅっのごとく、 しひて*ほうみょうをもちゐる、 いはれなきこと

 本願ほんがんもんに、 すでに 「十方じっぽうしゅじょう」 のことばあり。 *しゅう (善導) のおんしゃく (*玄義分) に、 また 「道俗どうぞくしゅ」 とあり。 しゃくそん*四部しぶ遺弟ゆいていに、 どうしゅ比丘びく比丘びく、 ぞくしゅ優婆うばそく優婆うばなれば、 ぞくしゅぶつ弟子でしのがはにれるじょう、 勿論もちろんなり。

*なかんづくに、 思議しぎぶっをたもつ道俗どうぞくしゅ、 *つう凡体ぼんたいにおいては、 しばらくさしおく。 ぶつ願力がんりき思議しぎをもつてぜん造悪ぞうあくぼん*摂取せっしゅしゃしたまふときは、 どうしゅはいみじく、 ぞくしゅおうじょうくらいそくなるべきにあらず。 その*進道しんどうかいをいふとき、 ただおなじせきなり。

しかるうへは、 かならずしもぞくしゅをしりぞけて、 どうしゅをすすましむべきにあらざるところに、 にょぎょうぞくぎょうたりながらほうみょうをもちゐるじょう、 *ほんぎょうとしては*おうじょうじょううつわものにきらはれたるにたり。 ただ男女なんにょ善悪ぜんあくぼん*はたらかさぬほんぎょうにて、 本願ほんがん思議しぎをもつてうまるべからざるものをうまれさせたればこそ、 ちょうがんともなづけ、 *おうちょう直道じきどうともきこえはんべれ。

この一段いちだん、 ことにそう祖師そし 源空げんくう ならびに祖師そし 親鸞しんらん らい、 伝授でんじゅそうじょう眼目げんもくたり。 あへて*りょうしょすべからざるものなり。

(11)

一 *二季にきがんをもつて念仏ねんぶつしゅぎょうせつさだむる、 いはれなきこと

 それじょう一門いちもんについて、 こうみょうしょう (善導) のおんしゃく (*礼讃) をうかがふに、 *安心あんじん*ぎょう*ごうつありとみえたり。 そのうちぎょうごうへんをば、 なほ方便ほうべんかたとさしおいて、 おうじょうじょうしょういん安心あんじんをもつてじょうとくすべきよしを釈成しゃくじょうせらるるじょう、 顕然けんぜんなり。

しかるにわがだいしょうにん (親鸞)、 このゆゑをもつてりき*安心あんじんをさきとしまします。 それについてさんぎょう安心あんじんあり。 そのなかに ¬だいきょう¼ をもつて真実しんじつとせらる。 ¬だいきょう¼ のなかにはだいじゅうはちがんをもつてほんとす。 じゅうはちがんにとりては、 またがんじょうじゅをもつてごくとす。 「信心しんじんかんない一念いちねん」 をもつてりき安心あんじんとおぼしめさるるゆゑなり。 この一念いちねんりきより発得ほっとくしぬるのちは、 しょうかいをうしろになして*はんがんいたりぬるじょう、 勿論もちろんなり。

こののうへは、 りき安心あんじんよりもよほされて*仏恩ぶっとん報謝ほうしゃぎょうごうはせらるべきによりて、 *行住ぎょうじゅう坐臥ざがろんぜず、 じょう退たいとうがんいいあり。 このうへは、 あながち*ちゅうよういんしゅしょう、 しゅじょう善悪ぜんあく決断けつだんするとうがんせつをかぎりて、 安心あんじんぎょうとうしょうごうをはげますべきにあらざるか。

かのちゅうよういん断悪だんあく修善しゅぜん決断けつだんは、 仏法ぶっぽうえんしゅじょう*さいせしめんがためのしゅうなり。 いまのりきぎょうじゃにおいては、 あとを*しゃにとほざかり、 しんじょういきにすましむるうへは、 なにによりてかこの*決判けっぱんにおよぶべきや。

しかるに*二季にきしょうをえりすぐりてその念仏ねんぶつおうじょうぶんさだめてぎょうをはげますともがら、 祖師そし (親鸞) のいちりゅうにそむけり。 いかでかとうきょう*門葉もんようごうせんや、 しるべし。

(12)

一 どうじょうごうして*のきをならべ*かきをへだてたるところにて、 各別かくべつ各別かくべつじょうをしむること

 おほよそしんしゅう本尊ほんぞんは、 *じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらいなり。 かの本尊ほんぞんしょじょうは、 *きょうにょくうなり。 ここをもつて祖師そし (親鸞) の ¬*教行きょうぎょうしょう¼ には、 「ぶつはこれ*不可ふか思議しぎ光仏こうぶつ、 はまた*りょうこうみょうなり」 (真仏土巻) とのたまへる、 これなり。 されば天親てんじん論主ろんじゅは、 「しょう三界さんがいどう」 (浄土論) とはんじたまへり。

しかれどもしょうどうもん此土しど得道とくどうといふきょうそう*かはらんために、 他土たどおうじょうといふ*はいりゅうをしばらくさだむるばかりなり。 和会わえするときは、 *此土しど他土たどいち*ぼんしょう不二ふになるべし。 これによりて念仏ねんぶつしゅぎょうどうじょうとて、 あながち*きょくぶんすべきにあらざるか。

しかれども、 はいりゅう初門しょもんにかへりて、 いくたびも*ぼんをさきとして、 どうじょうとなづけてこれをかまへ、 本尊ほんぞんあんしたてまつるにてこそあれ、 これはぎょうじゃしゅうのためなり。 いちどうじょうらいじゅうせんたぐひ、 遠近えんきんことなれば、 *来臨らいりん便びんどうならんとき、 一所いっしょをしめてもことのわづらひありぬべからんには、 あまたところにもどうじょうをかまふべし。 しからざらんにおいては、 ちょうのうち、 さかひのあひだに、 面々めんめん各々かくかくにこれをかまへてなんのようかあらん。 あやまつてことしげくなりなば、 そのしつありぬべきものか。

そのゆゑは、 「同一どういつ念仏ねんぶつ別道べつどう」 (*論註・下) なれば、 どうぎょうはたがひに*かいのうちみなきょうだいのむつびをなすべきに、 かくのごとく*簡別けんべつ隔略きゃくりゃくせば、 おのおのかくしゅうのもとゐ、 *まん先相せんそうたるべきをや。 このだん、 祖師そし門弟もんていごうするともがらのなかに、 *とうさかんなりと 云々うんぬん

祖師そししょうにんざいのむかし、 かつてかくのごとくはなはだしき沙汰さたなしと、 まのあたりうけたまわりしことなり。 ただ、 ことにより便びんにしたがひてわづらひなきを、 ほんとすべし。 いま*おうせつにおいては、 もつともちょうすべし。

(13)

一 祖師そししょうにん (親鸞) の門弟もんていごうするともがらのなかに、 しゅっほうについて 「*得分とくぶんせよ」 といふみょうもく行住ぎょうじゅう坐臥ざがにつかふ、 こころえがたきこと

 それ 「得分とくぶん」 といふ*じょうは、 ぞくよりおこれり。 しゅっほうのなかにきょうろんしょうしょをみるに、 いまだこれなし。 しかれども、 をりによりときにしたがひてものをいはんときは、 このことばしゅつらいせざるべきにあらず。 おうのごとくんば、 「*ぞう顛沛てんぱい、 このことばをもつて*規模きぼとす」 と 云々うんぬん

しちじょうしょうもん (意) には、 「*念仏ねんぶつしゅぎょう道俗どうぞく男女なんにょ、 れつのことばをもつて*なまじひに法門ほうもんをのべば、 しゃにわらはれ、 にんまよはすべし」 と 云々うんぬん

かの先言せんげんをもつていまをあんずるに、 すこぶるこのたぐひか。 もつともしゃにわらはれぬべし。 かくのごときのことば、 もつとも*がんなり。 *こうりょうにもあたらぬじょうをつかふべからず。 すべからくこれをちょうすべし。

 それ*いん七声しちせいは、 人々にんにんしょうとくのひびきなり。 弥陀みだじょうこくすいちょう樹林じゅりんのさへずるおと、 みなきゅうしょうかくにかたどれり。 これによりてそう祖師そししょうにん (源空) のわがちょう*おうれましまして、 *しんしゅうこうのはじめ、 こえ、 *ぶつをなすいはれあればとて、 かのじょう*ほうのしらべをまなんで、 *りょうびんのごとくなる*のうしょうをえらんで念仏ねんぶつしゅせしめて、 万人ばんじん*ききをよろこばしめ、 ずいせしめたまひけり。

それよりこのかた、 わがちょう一念いちねんねん*声明しょうみょうあひわかれて、 いまにかたのごとく*じんをのこさる。

祖師そししょうにん (親鸞) の御時おんときは、 さかりにねん声明しょうみょう法灯ほうとう、 *弥陀みだぶつりゅうじゅうまんのころにて、 ぼうちゅう*禅襟ぜんきんだち少々しょうしょうこれをもてあそばれけり。 祖師そしぎょうとしては、 まつたく*念仏ねんぶつのこわびき、 いかやうに*ふしはかせをさだむべしといふおおせなし。 ただ弥陀みだ願力がんりき思議しぎ、 ぼんおうじょうりきいちばかりを、 *ぎょう化他けたおんつとめとしましましき。 おんじょう沙汰さたさらにこれなし。

しかれども、 *ときふう、 ねん声明しょうみょうをもつて、 ひとおほくこれをもてあそぶについて、 ぼうちゅうのひとびと、 おんどう宿しゅくたちもかの声明しょうみょうにこころをするについて、 いささかこれをけいせらるるひとびとありけり。 そのとき東国とうごくよりじょうらく道俗どうぞくとう、 ぼうちゅうとうりゅうのほど、 みみにふれけるか。 まつたくしょうにんおおせとして、 おんぎょくさだめて称名しょうみょうせよといふおん沙汰さたなし。

さればふしはかせの沙汰さたなきうへは、 なまれるをまねび、 なまらざるをもまなぶべきおん沙汰さたにおよばざるものなり。 しかるにいましょうとくになまらざるこえをもつて、 しょうとくになまれる*坂東ばんどうごえをわざとまねびてしょうをゆがむるじょう、 おんぎょくをもつておうじょうとくさだめられたるにたり。

せんずるところ、 ただおのれがこえしょうとくなるにまかせて、 田舎でんしゃこえちからなくなまりて念仏ねんぶつし、 *おうじょうこえはなまらざるおのれなりのこえをもつて念仏ねんぶつすべきなり。 こえ、 ぶつをなすいはれもかくのごとくの*結縁けちえんぶんなり。 おんぎょくさらにほうおうじょう真因しんいんにあらず。 ただりき一心いっしんをもつておうじょうせつさだめましますじょう、 でんといひおんしゃくといひ顕然けんぜんなり、 しるべし。

(15)

一 一向いっこう専修せんじゅみょうごんをさきとして、 ぶっ思議しぎをもつてほうおうじょうぐるいはれをば、 その沙汰さたにおよばざる、 いはれなきこと

 それ本願ほんがんさん信心しんじんといふは、 *しん*しんぎょう*よくしょうこれなり。 まさしくがんじょうじゅしたまふには、 「もんみょうごう 信心しんじんかん ない一念いちねん」 (大経・下) とけり。 このもんについて、 ぼんおうじょうとくない*一念いちねんぽっぶんなり。 このとき願力がんりきをもつておうじょう決得けっとくすといふは、 すなはち*摂取せっしゅしゃのときなり。 もし ¬かんぎょう¼ (散善義・意) によらば 「安心あんじんじょうとく」 といへるおんしゃく、 これなり。 また ¬*小経しょうきょう¼ によらば 「一心いっしんらん」 とける、 これなり。

しかれば、 祖師そししょうにん (親鸞) そうじょう*ずういちりゅう肝要かんよう、 これにあり。 ここをしらざるをもつてもんとし、 これをしれるをもつて門弟もんていのしるしとす。 そのほか、 かならずしもそうにおいて、 一向いっこう専修せんじゅぎょうじゃのしるしをあらはすべきゆゑなし。

しかるをいま風聞ふうぶんせつのごとくんば、 「*さんぎょう一論いちろんについてもんしょうをたづねあきらむるにおよばず、 ただ自由じゆもうをたてて*信心しんじん沙汰さたをさしおきて、 ぎょうへんをもつて、 ªまづ*ぞうぎょうをさしおきて*正行しょうぎょうしゅすべしº とすすむ」 と 云々うんぬん。 これをもつていちりゅうようとするにや。

このじょう、 そうじてはしんしゅうはいりゅうにそむき、 べっしては祖師そし遺訓ゆいくんせり。 正行しょうぎょうしゅのうちに、 だい称名しょうみょうをもつて*正定しょうじょうごうとすぐりとり、 じゅをば*助業じょごうといへり。 正定しょうじょうごうたる*称名しょうみょう念仏ねんぶつをもつておうじょうじょうしょういん*はからひつのるすら、 なほもつてぼんりきくわだてなれば、 ほうおうじょうかなふべからずと 云々うんぬん

そのゆゑは願力がんりき思議しぎをしらざるによりてなり。 とうきょう肝要かんよう、 ぼんのはからひをやめて、 ただ摂取せっしゅしゃ大益だいやくあおぐものなり。 ぎょうをもつて一向いっこう専修せんじゅみょうごんをたつといふとも、 りき安心あんじん決得けっとくせずんば、 祖師そし*しょう相続そうぞくするにあらざるべし。 宿しゅくぜんもし開発かいほつならば、 いかなるれつのともがらも願力がんりき信心しんじんをたくはへつべし、 しるべし。

(16)

一 *とうりゅう門人もんにんごうするともがら、 祖師そし (親鸞)*先徳せんどく ˆのˇ 報恩ほうおん謝徳しゃとく*しゅうのみぎりにありて、 おうじょうじょう信心しんじんにおいてはその沙汰さたにおよばず、 もつ葬礼そうれいをもつてほんとすべきやうにしゅう評定ひょうじょうする、 いはれなきこと

 みぎ、 *しょうどうもんについて*みっきょう所談しょだんの 「*父母ぶもしょしょうしんそくしょうだいかく」 (*菩提心論) といへるほかは、 *じょうせつ往詣おうげいするもいきざいするも、 しん一法いっぽうなり。 まつたく*うんしょじょう肉身にくしんをもつて、 ぼん速疾そくしつじょうせつうてなにのぼるとはだんぜず。 しゅう*しょうぞうするしゅうはいりゅう、 これをもつて*とす。

しかるにおうじょう信心しんじん沙汰さたをばがけもせずして、 もつ葬礼そうれいじょじょう扶持ふじ一段いちだんとうりゅう肝要かんようとするやうに談合だんごうするによりて、 祖師そししょうもあらはれず、 道俗どうぞく男女なんにょ、 おうじょうじょうのみちをもしらず、 ただけん浅近せんごん*じょうこうとかやのやうに諸人しょにんおもひなすこと、 こころうきことなり。

かつはほんしょうにんおおせにいはく、 「それがし 親鸞しんらん 閉眼へいがんせば、 賀茂かもがわにいれてうおにあたふべし」 と 云々うんぬん。 これすなはちこの肉身にくしんかろんじて仏法ぶっぽう信心しんじんほんとすべきよしをあらはしましますゆゑなり。

これをもつておもふに、 いよいよ*喪葬そうそういちだいとすべきにあらず。 もつともちょうすべし。

(17)

一 おなじく祖師そし (親鸞) のもんりゅうごうするやから、 *いんはつといふことをごんとすること、 いはれなきこと

 それさんぎょうのなかにこのみょうごんをもとむるに、 ¬かんぎょう¼ に 「深信じんしんいん」 のもんあり、 もしこれをおもへるか。

おほよそ祖師そししょうにんそうじょういちは、 さんぎょうともに差別しゃべつなしといへども、 ¬かんりょう寿じゅきょう¼ は*真実しんじつをあらはして、 所説しょせつほう*じょうさんをおもてとせり。 真実しんじつといふは、 *しょう女人にょにん悪人あくにんほんとして、 *だい*たいとしたまへり。 ¬*だいりょう寿じゅきょう¼ はじん*ごんをもつて*同聞どうもんしゅとして、 所説しょせつほうぼんしゅつよう思議しぎをあらはせり。 だいしょうにんそうじょうはもつぱら ¬だいきょう¼ にあり。 ¬かんぎょう¼ 所説しょせつの 「深信じんしんいん」 のことばをとらんこと、 あながち*甘心かんしんすべからず。

たとひかの ¬きょう¼ (観経) のみょうもくをとるといふとも、 義理ぎり*しんせばいよいよいはれなかるべし。 そのゆゑは、 かの ¬きょう¼ (同) の深信じんしんいんは、 *三福さんぷくごう*随一ずいいちなり。 かの三福さんぷくごうはまた*人天にんでん有漏うろごうなり。 なかんづくに、 深信じんしんいんどうによらば、 あにぼんおうじょうのぞみをとげんや。

まづ*じゅうあくにおいて、 「*じょうぼんぼんするものは*ごくどうし、 ちゅうぼんぼんするものは*餓鬼がきどうし、 ぼんぼんするものは*ちくしょうどうにおもむく」 といへり。 これ*だいじょうしょうぞうさだむるところなり。 もしいまのぼん所犯しょぼん現因げんいんによりて*当来とうらいかんずべくんば、 *さん悪道まくどうざいすべし。 にんちゅうてんじょうほうなほもつて*かい*じゅうぜん*まつたからずは、 いかでかのぞみをかけんや。 いかにいはんや、 しゅっ三界さんがい無漏むろしょう報国ほうこくほううまるるどうあるべからず。

しかりといへども、 弥陀みだちょう大願だいがん、 じゅうあくぎゃく*じゅう*謗法ほうぼうのためなれば、 かの願力がんりきごうじょうなるに、 よこさまにちょうぜつせられたてまつりて、 *さんいんをながくたちてみょう洞燃どうねんごうをとどめられたてまつること、 おほきに*いんどうにそむけり。 もし深信じんしんいんたるべくんば、 うるところの悪因あくいんのひかんところはあくなるべければ、 たとひ弥陀みだ本願ほんがんしんずといふとも、 その願力がんりき*いたづらごとにて、 念仏ねんぶつしゅじょう、 さんざいすべきをや。

もししかりといはば、 弥陀みだ*こうゆい本願ほんがんも、 しゃくそんもう*金言きんげんも、 諸仏しょぶつじょうたい証誠しょうじょうも、 いたづらごとなるべきにや。 おほよそりき一門いちもんにおいては、 しゃくそん一代いちだいせっきょうにいまだそのれいなき*つうしょうぞうをはなれたる*ごんどうだん思議しぎなりといふは、 ぼんほううまるるといふをもつてなり。 もしいんそうじゅんにまかせば、 しゃ弥陀みだ諸仏しょぶつおんほねをりたるりき*べつむなしくなりぬべし。

そのゆゑは、 たすけましまさんとする十方じっぽうしゅじょうたるぼん、 いんそうじゅんふうぜられて、 *別願べつがんしょじょうほうぼんうまるべからざるゆゑなり。 いまほうとくしょうにあたへましますぶっ一念いちねんは、 すなはち仏因ぶついんなり。 かの仏因ぶついんにひかれてうるところのじょうじゅくらい、 めついたるといふは、 すなはちぶっなり。 この仏因ぶついん*ぶっにおいては、 りきよりじょうずれば、 さらにぼんのちからにてみだすべきにあらず、 またはつすべきにあらず。 しかれば、 なにによりてか 「いんはつあるべし」 といふことをいはんや。

もつともこのみょうごん、 りきしゅうをもつぱらにせらるるとうりゅうにそむけり。 かつてうかがひしらざるゆゑか。 はやくちょうすべし。

(18)

一 本願ほんがんしょうにん (親鸞) の門弟もんていごうするひとびとのなかに、 *しきをあがむるをもつて弥陀みだ如来にょらいし、 *しきしょ当体とうたいをもつて別願べつがん真実しんじつほうとすといふ、 いはれなきこと

 それしゅう*しょうきょうたるさんぎょう所説しょせつ*はいりゅうにおいては、 *ことしげきによりてしばらくさしおく。

*はっしゅうこうとあがめたてまつる*りゅうじゅさつ所造しょぞう ¬*十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ のごときんば、 「さつ、 *阿毘あびばっもとむるに、 しゅどうあり。 ひとつには*なんぎょうどう、 ふたつには*ぎょうどう。 そのなんぎょうといふは多途たずあり。 ほぼ*さんをあげてのこころをしめさん」 といへり。 「ぎょうどうといふは、 ただ*信仏しんぶつ因縁いんねんをもつてじょううまれんとがんずれば、 仏力ぶつりき*じゅうしてすなはちだいじょう*正定しょうじょうじゅれたまふ」 といへり。

そう祖師そし黒谷くろだに先徳せんどく (源空)、 これをうけて 「なんぎょうどうといふは*しょうどうもんなり、 ぎょうどうといふは*じょうもんなり」 (選択集) とのたまへり。 これすなはちしょうどうじょうもん混乱こんらんせずして、 じょう一門いちもんりゅうせんがためなり。 しかるにしょうどうもんのなかにだい小乗しょうじょう*権実ごんじつどうありといへども、 だいじょう所談しょだんごくとおぼしきには*しん弥陀みだ唯心ゆいしんじょうだんずるか。

この所談しょだんにおいては、 *しょうのためにして*ぼんのためにあらず。 かるがゆゑにじょうきょうもんはもつぱらぼんいんにゅうのためなるがゆゑに、 しん観法かんぽうもおよばず唯心ゆいしんせつもかなはず、 ただとなりたからをかぞふるにたり。 これによりて、 すでにべっしてじょう一門いちもんてて、 ぼんいんにゅうのみちをりゅうせり。 りゅうじゅさつ所判しょはんあにあやまりあるべけんや。

しんしゅうもんにおいてはいくたびもはいりゅうをさきとせり。 「はい」 といふは、 しゃなりとしゃくす。 しょうどうもん此土しど*にっしょうとくしん弥陀みだ唯心ゆいしんじょうとうぼん*かんりき修道しゅどうてよとなり。 「りゅう」 といふは、 すなはち、 弥陀みだりきしんをもつてぼんしんとし、 弥陀みだりきぎょうをもつてぼんぎょうとし、 弥陀みだりきごうをもつてぼんほうおうじょうするしょうごうとして、 このかいててかのじょうせつおうじょうせよと*しつらひたまふをもつてしんしゅうとす。

しかるに風聞ふうぶんじゃのごとくんば、 はいりゅういちをすてて、 此土しど他土たどをわけずじょう分別ふんべつせず、 此土しどをもつてじょうしょうし、 ぼんぎょうしきをもつてかたじけなく*さんじゅうそう仏体ぶったいさだむらんこと、 じょう一門いちもんにおいてかかる所談しょだんあるべしともおぼえず。 *こんどん短慮たんりょおほよそ迷惑めいわくするところなり。 しん弥陀みだ唯心ゆいしんじょうだんずるしょうどうしゅう差別しゃべつせるところいづくぞや、 もつともこうりょうといひつべし。

ほのかにきく、 かくのごとくの所談しょだんごんをまじふるを*なか法門ほうもんごうすと 云々うんぬん。 またきく、 祖師そし (親鸞) のしゃく ¬教行きょうぎょうしょう¼ にのせらるるところの*けんしょう隠密おんみつといふも、 隠密おんみつみょうごんはすなはちこのいちけんにすべからざるを隠密おんみつしゃくしたまへりと 云々うんぬん。 これもつてのほかの*僻韻へきいんか。

かのけんしょう隠密おんみつみょうごんは、 わたくしなきおんしゃくなり。 それはかくのごとく*こばみたるじゃにあらず。 さいじゅうあり。 ことしげきによりて、 いまの*ようにあらざるあひだ、これをりゃくす。

ぜんしきにおいて、 本尊ほんぞんのおもひをなすべきじょう、 渇仰かつごうのいたりにおいてはそのしかるべしといへども、 それはぶっだいそうじょうしまします願力がんりき信心しんじん、 ぶっよりもよほされてぶっぞくするところのいちなるをぎょうそうぶんにてこそあれ、 仏身ぶっしんぶっ本体ほんたいとおかずして、 ただちにぼんぎょうしきをおさへて、 如来にょらい色相しきそう眼見げんけんせよとすすむらんこと、 聖教しょうぎょう*せつをはなれ祖師そしでんにそむけり。 本尊ほんぞんをはなれていづくのほどよりしきしゅつげんせるぞや。 *こうりょうなりほうなり。

ただじつつたへてじゅし、 ぶっをあらはして決得けっとくせしむる恩徳おんどくは、 しょうしん如来にょらいにもあひかはらず。 木像もくぞうものいはずきょうてんくちなければ、 つたへきかしむるところの恩徳おんどくみみにたくはへんぎょうじゃは、 謝徳しゃとくのおもひをもつぱらにして、 *如来にょらい代官だいかんあおいであがむべきにてこそあれ、 そのしきのほかはべつぶつなしといふこと、 しゃにわらはれしゃまよはすべきいいこれにあり。 あさまし、 あさまし。

(19)

一 ぼんりきしんぎょうをおさへてぶっしょうとくぎょうたいといふ、 いはれなきこと

 さんぎょうのなかに、 ¬かんぎょう¼ のじょう深心じんしんとう*三心さんしんをば、 ぼんのおこすところのりき三心さんしんぞとさだめ、 ¬だいきょう¼ 所説しょせつしんしんぎょうよくしょうとう*三信さんしんをば、 りきよりさづけらるるところのぶっとわけられたり。

しかるに、 「方便ほうべんより真実しんじつつたひ、 ぼんほっ三心さんしんより如来にょらい利他りた信心しんじんつうにゅうするぞ」 とをしへおきまします祖師そし 親鸞しんらん しょうにんおんしゃく拝見はいけんせざるにや。 ちかごろこのむねをそむいて自由じゆ妄説もうせつをなして、 しかも祖師そし末弟まっていしょうする、 このじょうことにもつておどろきおぼゆるところなり。

まづ*のう*しょをたて、 りきりき対判たいはんして、 りきをすててりきし、 のうせつをうけてしょ信心しんじんじょうとくするこそ、 こん (親鸞) そうじょうでんにはあひかなひはんべれ

いまきこゆるじゃのごとくは、 「煩悩ぼんのうじょうじゅぼん妄心もうしんをおさへて金剛こんごうしんといひ、 ぎょうじゃ三業さんごう所修しょしゅ念仏ねんぶつをもつて一向いっこう一心いっしんぎょうじゃとす」 と 云々うんぬん。 このじょう、 *つやつやりきりきのさかひをしらずして、 ひとをもまよはし、 われもまよふものか。

そのゆゑはまづ、 「金剛こんごうしんじょうじゅ」 といふ、 金剛こんごうはこれたとへなり、 ぼん迷心めいしんにおいて金剛こんごう類同るいどうすべきいいなし。 ぼんじょうはきはめてじょうなり。 さればだい (善導) のおんしゃく (*序分義) には、 「たとひしょうしんおこすといへども、 みずせるがごとし」 と 云々うんぬん。 じょう、 これをもつてしるべし。

しかれば、 ぼんじょうめいじょう*りょうしょしゅじょうぶっまんにゅうしてじょう迷心めいしんりきよりじょうじゅして、 *がんにゅう弥陀みだかいおうじょうしょうごうじょうずるときを、 「能発のうほつ*一念いちねんあいしん」 (正信偈) とも、 「だん煩悩ぼんのうとくはん」 (同) とも、 「*にゅうしょうじょうじゅじゅ」 とも、 「*じゅ退転たいてん」 とも、 しょうにんしゃくしましませり。 これすなはち 「即得そくとくおうじょう」 のぶんなり。

このしゃしょううんしょじょう肉身にくしんいまだやぶれずといへども、 しょうてん本源ほんげんをつなぐりきめいじょう、 *ほつ金剛こんごうしん一念いちねんにやぶれて、 しきでんぶつぞくするをこそ、 「りきをすててりきする」 ともなづけ、 また 「即得そくとくおうじょう」 ともならひはんべれ。 まつたくわがしゅうをもつて*随分ずいぶん是非ぜひをおもひかたむるをりきすとはならはず。 これを金剛こんごうしんともいはざるところなり。 さんぎょう一論いちろん、 *しゃく以下いげ、 とうりゅう 親鸞しんらん しょうにんしょうをあらはしまします製作せいさく ¬教行きょうぎょうしんしょう¼ とうにみえざるところなり。

しかれば、 なにをもつてかほしいままに自由じゆ妄説もうせつをのべて、 みだりに祖師そしいちりゅうでんしょうするや。 しつ誤他ごたのとが、 ぶっけんにそむくものか。 おそるべし、 あやぶむべし。

(20)

一 ごく末弟まっていこんりゅう草堂そうどうしょうして本所ほんじょとし、 諸国しょこくこぞりてそうきょうしょうにん (親鸞) のほんびょう*本願ほんがんをば参詣さんけいすべからずと諸人しょにんしょうせしむる、 *みょうなきくわだてのこと

 それ*慢心まんしんしょうどうしょきょうにきらはれ、 「仏道ぶつどうをさまたぐる*」 と、 これをのべたり。

わがしんしゅうこうこうみょうだい (善導) しゃくしてのたまはく (礼讃)、 「きょうまんへいだいなんしんほう」 とて、 「*きょうまん*へい*だいとは、 もつてこのほうしんずることかたし」 とみえたれば、 きょうまんしんをもつてぶっ*はからんとするかくどんとしては、 さらにぶっじょうりき*ききべからざれば、 祖師そし (親鸞) の本所ほんじょをば*蔑如べつじょし、 こんりゅうのわたくしの在所ざいしょをば本所ほんじょしょうするほどのみょうぞんぜず、 やくをおもはざるやから、 だいきょうまん*もうじょうをもつては、 まことにいかでかぶっじょうりきじゅせんや。

なんしんほう」 のおんしゃく、 いよいよおもひあはせられてげんじゅうなるものか、 しるべし。

 *ほんにいはく

 みぎこのしょうは、 祖師そし本願ほんがんしょうにん 親鸞しんらん、 せん*大網おおあみ如信にょしんほっ面授めんじゅけつせるのしょう、 ほうとくしょう最要さいようなり。 、 壮年そうねん往日おうじつ、 かたじけなくも三代さんだい *黒谷くろだに本願ほんがん*大網おおあみ でん*けちみゃくしたがけてこう、 とこしなへにたくわふるところのそん興説こうせつ*目足もくそくなり。とお*宿しゅくじょうぐうはかり、 つらつら当来とうらいかいおもふに、 仏恩ぶっとん高大こうだいなることあたかも*めい八万はちまんいただき、 とく深広じんこうなることほとんど*蒼瞑そうめい三千さんぜんそこぎたり。

ここにちかくかつて祖師そし門葉もんようともがらごうするなかに、 でんにあらざるの今案こんあん自義じぎかまへ、 あやまりてごんせいりゅうけがし、 ほしいままにとうきょうしょうしてみづからしっあやまらすと云々うんぬん。 はなはだしかるべからず。 *禁遏きんあつせざるべからず。 ここによりて、 かの*邪幢じゃどうくだきてそのしょうとうかかげんがためにこれをろくす。 名づけて ¬改邪がいじゃしょう¼ といふのみ。

 *けんひのとのうしだいれき、 *しょうじゅんじゅうにち、 *かんめをはりぬ。 はからざるにそうしょうにん (源空) せん聖日せいじつにあひあたれり。 ここにりぬ、 師資ししそうじょうじきたがはざることを。 とうとむべし、 よろこぶべし。

                       しゃく*そうしょうろくじゅうはち

 

(14)

一 なまらざるおんじょうをもつて、 わざと*片国へんごくのなまれるこえをまなんで念仏ねんぶつする、 いはれなきこと