VIS VITALIS 2018. 5. 13. 12:25
第4回「道元禅師様を“教化”した人④ 天童山の用典座


タイトル更新日

第1


「道元禅師様を“教化”した人① ―阿育王寺あいくおうじ典座老師てんぞろうしH28.1.9

第2


「道元禅師様を“教化”した人② ―文字と修行―

第3

道元禅師様を“教化”した人③ 西川せいせんの僧―」




日本曹洞宗の開祖で福井県にある曹洞宗の大本山・永平寺をお開きになった道元禅師様(1200-1253)―その偉大さや尊さは誰もが認めるものでありましょう。

しかし、道元禅師様自らが著書・正法眼蔵しょうぼうげんぞう渓声山声けいせいさんしょく」の中で、「仏祖の往昔おうしゃく我等われらなり。我等が当来とうらいは仏祖ならん。(仏祖と呼ばれる方々も最初は私たちと同じような凡夫であった。しかし、日々を大切に仏道修行に精進したから仏祖と呼ばれるまでになったのである。)」とおっしゃるように、最初から偉大だったわけでも優れていたわけでもありませんでした。そこには多くの人との出会いがありました。また、人からの教えもありました。多くのご経験にそうしたものが積み重なって偉大な人格を有する禅僧となられたのです。

そうした道元禅師様の人格形成に大きな影響を与えたある3名の“人物”に焦点を絞り、数回に渡ってご紹介させていただきたいと思います。

1223年3月、京都の建仁寺けんにんじで仏道修行に励んでいらっしゃった道元禅師様(当時23歳)は師事なさっていた明全みょうぜん和尚(栄西禅師の高弟)と共に仏法を求めて中国・宋に渡られました。今とは違って危険が伴ういのちがけの渡航であったことは言うまでもないでしょうが、宋に到着後、しばし、入国手続きに時間がかかったのか、道元禅師様は寧波にんぽうの港で、しばし船中にて過ごさざるを得ない時期があったようです。

そんなとき、宋の阿育王寺あいくおうじ典座てんぞ(修行僧の食事作りを担当する僧)が船に同乗していた日本人の商人を訪ね、倭椹わじん(桑の実?)を求めました。僧は年齢61歳。故郷である四川省を離れ40年、各地の修行道場を訪ね歩きながら、現在は阿育王寺で修行に励んでいるとのこと。今日は約20キロの道のりを歩いて、明日の「五の日(特別の説法の日)」にちなみ、修行僧たちに振る舞ううどんの汁に使う材料を買いにやって来たとのことでした。

それをお聞きした道元禅師様は僧の姿に深く感動し、これも仏縁と僧を船内に引き止めました。しかし、僧は明日、典座としてやるべきことがあると固辞しました。すると、道元禅師様は「他の僧にお任せしてはいけないのですか?」と問いました。それに対して、僧は「典座の修行は60歳を超えた自分に与えられた“老いらくの仏道修行”ゆえに、他人に任せるわけにはいきません。」とおっしゃったのです。

この僧の答えに仏道修行とは「坐禅」や「祖録(祖師方が記した仏法に関するみ教え)を読むこと」だと思っていた道元禅師様は、大きな衝撃を受けたのでしょう。そんな道元禅師様に更に追い討ちをかけるように僧はおっしゃいました。

「外国の若き僧よ、あなたは文字や仏道修行というものを深く体得できていないようだ。」

道元禅師様は僧に問いました。「文字とは何ですか?修行とは何ですか?」

すると、僧は「機会があれば阿育王寺においでください。一度、ゆっくりと話しましょう。」と言って、その場を去りました。

文字とは何か―?

仏道修行とは何なのか―?

その問いに対する回答が2か月後の7月、道元禅師様が僧との再会を果たしたときにその口から伝えられることになります。次回、その内容について、具体的に触れていきたいと思いますが、“老いらくの仏道修行”という言葉にあるように、自らにいただいた仏縁と真摯に向き合い、いのちある限り、縁がある限り、一生懸命、つとめさせていただこうとする僧の姿に文字や修行のヒントが隠されているような気がします。また、そういう人の心を打つ姿を自ずと発することができる僧の生き様こそ、仏道修行者の生き様ではないかと感じずにはいられません。



第2回「道元禅師を“教化”した人② ―文字と修行―

文字とは何か―?

仏道修行とは何なのか―?

中国に入ったばかりの道元禅師様にとって、寧波にんぽうに停泊中の船中にて出逢った61歳の阿育王寺あいくおうじ典座老師てんぞろうしとのやり取りは衝撃的なものでした。この入宋間もない段階で非常に味わいのある問答を交わせる人物とのやり取りができた背景には、道元禅師様が23歳という若さでありながらも、相当の実力を有した仏道修行者であったことを意味しているように思います。そんな道元禅師様だったからこそ、自然と導かれるように人間的魅力のある人物が集ったのではないかという気がします。

そんな出来事から2カ月が経過した7月。道元禅師様は天童山・景徳寺けいとくじで仏道修行に励んでおられました。そこに、かの僧が道元禅師様を訪ねていらっしゃいました。僧は阿育王寺での修行を終えて、故郷の四川省に帰る決意をなさったそうで、その前に一目、道元禅師様にお会いしたいと、仲間から所在を聞いて、訪ねてきたとのことでした。

前回、僧の人生について触れました。僧は故郷を離れて40年。その間、あちこちのお寺を渡り歩いて仏道修行に励まれたという、まさに、修行一筋の人物です。そんな僧にとって、40年もの長きにわたる修行を一段落させることは、あたかも40年に渡って一つの仕事に従事したサラリーマンが定年退職するようなもので、仕事に対する愛着ゆえの別れの辛さもあったのではないかと思います。それらの感情を全て清算し、天童山の門をくぐった僧―その心情を考えるに、道元禅師様のみならず、実は僧も道元禅師様との出会いに大きな衝撃を受け、どうしても最後に一目お会いしたいと思うくらいに、道元禅師様を求めていたのではないかと思うのも、あながち考え過ぎではないような気がします。

僧の来訪にこの上ない喜びを感じた道元禅師様は僧を接待し、しばし、談笑しました。話題はすぐに2ヶ月前に交わした文字と修行の話になりました。

僧はおっしゃいました。「文字とは一二三四五。修行(弁道)とはこの遍き世界は全然何も蔵さず」と。すなわち、文字というのは「一二三四五であり、修行はすべてがこの世界の中に現れている」と僧はおっしゃるのです。

さすがに40年もの間、仏道修行一筋に生きてこられた方のお言葉だけあって、非常に深遠なものを感じます。私のような未熟な者には理解できぬほど、奥深いものをもった尊いお言葉ではないかと思いますが、未熟者なりに解釈していくに、たとえば、紙に一二三四五と書いてあったとすれば、それは一二三四五という文字が紙に書かれてあるというだけで、その場合の一二三四五は文字でしかなく、文字以上のものでもありません。

大切なのは、そうした文字を文字とだけ捉えて終わるのではなく、文字の周囲や背景にあるものを様々な角度から眺めながら、しっかりと掴み取っていく姿勢を持つということです。それが物事を味わうということであり、そういう関わり方や姿勢が仏道修行に求められるというのです。

万事は一面的なものではなく、多面的なものです。それらは全て包み隠されることなく表れているのですが、私たちは自分の考え方や好みに捉われて、好きなものは受け入れることができても、嫌いなものは遠ざけてしまいます。それゆえに、中々、本当の姿を見ることができないでいます。一面的な見方をして、悪いところばかり見るから、物事の価値に気づかないのです。多面的な視点を持つことができれば、いいところも悪いところも見えてくるのです。表面的に文字だけを見て、あれこれ判断するのではなく、周囲や背後の状況も合わせて多面的に文字を見ていくという視点を文字のみならず万事において持っていきたいものです。そうした相手の価値を大切にしていくという姿勢を阿育王寺の典座老師から学んでいきたいものです。



第3回「道元禅師様を“教化”した人③ ―西川せいせんの僧―」


道元禅師様が中国でご修行中に出会った「西川せいせんの僧」なる人物―その僧の具体的な経歴等ははっきしていないのですが、この僧とのやり取りを通じて道元禅師様が得られたものは非常に大きなものであり、そのときの様子や道元禅師様の心情が後に道元禅師様の口からお弟子様方に語られたことが、「正法眼蔵随聞記しょうぼうげんぞうずいもんき」の中から伺えます。

中国で古人が書き残した書物を読んで仏法とは何かを研究する道元禅師様。中国で少しでも多くのことを学び、日本に持ち帰って、悩み苦しむ人々を救いたいという情熱に燃える道元禅師様は必死になって書物を読み解きながら、仏道を学んでいらっしゃいました。

そんな道元禅師様のもとにやって来たのが西川の僧でした。西川の僧は書物を熱心に研究する道元禅師様の姿を見て「それが一体、何の役に立つのか?」と問われました。古人が書き記した仏法に関する言葉を少しでも頭の中に叩き込もうとしていた道元禅師様にとって、西川の僧から投げかけられた問いは想定外のものであり、その驚きも大きかったに違いありません。「日本に帰って多くの悩める人々を仏法の力で救いたい」という思いを西川の僧に伝えようとしました。

しかし、西川の僧は「それが何の役に立つのか?」と問いかけてくるのでした。後年、道元禅師様はこの西川の僧とのやり取りを振り返りながら以下のことをおっしゃいました。

「古人の書物を読むことも大事だが、坐禅を徹底的に極め、その重点を明らかにし、自分の言葉で説いていくことが大切である」と―。すなわち、言葉で学んだことは頭の中だけで理解するだけでは十分とは言えず、日常生活の中で実践するなど、自分の経験を通じて、明確にしていかなければ本物にはならないというのです。

これは現代に生きる私たちにも通ずる大切なみ教えではないかと思います。私たちも若かりし頃の道元禅師様のように書物を読んで勉強したような気になることがないでしょうか・・・?大切なことは「体得」ということです。すなわち、六根ろっこん(眼・耳・鼻・舌・心・身体)という自分の身体全体を使って得るということです。古人の書物を読めば、知識が眼から脳に吸収されていきます。そうやって吸収されたものを身体を使ってやってみたり、心に深く刻み込んでみたり、あるいは、他人に話すことで、相手からの意見を耳で聞いたり、そうした同じ知識をあらゆる感覚器官を用いながら味わっていくと、物事を多面的に捉えることができ、より一層、深く自分の中に刻み込まれていきます。そうやって、他人の言葉や教えが自分のものになっていくのです。

仏道を行ずるということは、他人の教えを自分の中に通した上で自分のものにしていくという姿勢がなければ、本当の意味で悩める人は救えない―西川の僧はそうおっしゃいたかったのではないかという気がします。そのお言葉は阿育王寺の典座老師同様、長年、仏道を行じてきた方だからこその重みのある尊いものであり、そこには仏道修行者として、更には人間として生きていく者の基本姿勢が示されているような気がします。