普化宗 ふけしゅう
普化宗
ふけしゅう
普化宗
ふけしゅう
中国,唐の禅僧,普化を祖とする宗派。普化禅宗ともいう。建長1 (1249) 年に宋に渡った心地覚心が日本に伝えた。その孫弟子金先は北条経時の帰依を受けて,下総小金に一月寺を創建し,普化宗の本寺とした。典拠とする経典はなく,尺八による虚無吹奏を禅の至境とした。虚無宗 (こむしゅう) はこの系統である。
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デジタル大辞泉の解説
ふけ‐しゅう【普化宗】
禅宗の一派。唐の普化が開祖。建長年間(1249~1256)に伝来。江戸時代に栄え、宗徒は虚無僧(こむそう)と称して尺八を奏し、諸国を遍歴修行。下総小金の一月寺と武蔵青梅の鈴法寺を本山とした。明治4年(1871)廃宗。普化禅宗。
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百科事典マイペディアの解説
普化宗【ふけしゅう】
中国,唐代の普化禅師を開祖とする臨済(りんざい)宗の一派。日本へは1249年渡宋した東福寺の覚心(かくしん)が,1254年に伝えた。その法孫の金先(【きん】全(きんぜん)とも)は北条時頼(ときより)の帰依(きえ)を受け,下総(しもうさ)小金(こがね)に一月寺を創建,本寺とした。
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世界大百科事典 第2版の解説
ふけしゅう【普化宗】
虚無(こむ)宗ともいう。禅宗の一派で,中国唐代の禅僧である普化和尚を開祖としていて,僧名をもってその名が付けられ,詳しくは普化禅宗という。日本には1254年(建長6)宝伏,国佐,理正,僧恕の4人の居士(こじ)が来日して伝えられた。4居士は普化の一系に属する張参の徒で,1249年入宋した無本(心地)覚心(法灯国師)が帰朝のとき伴ったもので,紀伊由良の興国寺山内に普化庵を建て居所とした。そのご無本覚心の法孫にあたる靳全(きんぜん)(金先)がでて北条経時の帰依を受け,下総小金に一月寺を開創し,一派の道場が成立している。
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大辞林 第三版の解説
ふけしゅう【普化宗】
江戸時代に虚無僧こむそうの集団が形成した特殊な仏教宗派。臨済宗(禅宗)の一派とされるが、教義や信仰上の内実はほとんどなく、尺八を法器と称して禅の修行や托鉢のために吹奏した。尺八楽の歴史上重要な存在である。虚無僧は諸国通行の自由など種々の特権を持ち、隠密おんみつの役も務めたと言われる。明治維新により廃宗された。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
普化宗
ふけしゅう
中国、唐代の禅僧普化(ふけ)を祖とする禅宗の一派。虚無(こむ)宗ともいう。尺八の吹奏をもって煩悩(ぼんのう)を断じ、虚無の境地に至る虚無吹断を禅の究極とする。普化は馬祖道一(ばそどういつ)の門人盤山宝積(ばんざんほうしゃく)より法を受けたが、狂態を装い、つねに鐸(たく)を人の耳辺に振っていた。張伯(ちょうはく)という者が弟子になろうとしたが許されず、鐸の音をまねて竹管を吹いたところから、竹管吹奏の風がおこった。
日本では、心地覚心(しんちかくしん)が1249年(建長1)に入宋(にっそう)して張参(ちょうさん)より竹管吹奏の奥義(おうぎ)を受け、帰国後、紀州(和歌山県)由良(ゆら)に興国寺を建てて広めた。覚心門下の金先(こんせん)は北条経時(つねとき)の帰依(きえ)を受けて下総(しもうさ)(千葉県)小金(こがね)に一月寺(いちがつじ)を開いて普化宗の本山とした。その法系を金先派と称する。また、尺八を奏して全国を行脚(あんぎゃ)する風が生じ、その派を寄竹(よりたけ)派とよび、山城(やましろ)(京都府)明暗寺を本寺とするなど、各派を生じた。しかし、やがて浮浪の徒が多く尺八を吹いて行脚するようになり、普化僧と混同をきたした。江戸時代には浪人の集団ともみなされ、密偵機関として利用された。この派の僧を虚無僧、薦僧(こもそう)、暮露(ぼろ)などとよぶ。なお、普化宗は1871年(明治4)官命により廃止され、明暗(みょうあん)、普化、法燈(ほうとう)などの教会として存続している。[末木文美士]
[参照項目] | 一月寺 | 虚無僧 | 心地覚心
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世界大百科事典内の普化宗の言及
【興国寺】より
…1889年(明治22)妙心寺派に属したが,1956年独立の本山となった。覚心は在宋中普化(ふけ)宗をも学び,帰朝にさいし普化の四居士を伴い,興国寺山内の普化庵に住まわせた。これが日本の普化宗の濫觴(らんしよう)といわれる。…
【虚無僧】より
…菰僧(こもそう),薦僧(こもそう),梵論字(ぼろんじ),梵字(ぼろんじ),暮露(ぼろ),また普化僧(ふけそう)ともいう。禅宗の一派である普化宗の僧の別称で,普化宗を虚無宗とも称する(イラスト)。吉田兼好の《徒然草(つれづれぐさ)》に,〈ぼろぼろ〉〈ぼろんじ〉と見え,我執深く闘争を事にする卑徒としている。…
【尺八】より
…日本の音楽史上に現れた広義の尺八には,古代尺八,天吹(てんぷく),一節切(ひとよぎり)尺八などもあるが,現行するのは普化(ふけ)尺八のみであるから,以下,それを主として解説する。〈普化尺八〉は〈虚無僧尺八〉とも呼ばれるが,江戸時代にこの楽器が普化宗(禅宗の一種。その僧が虚無僧)の専用とされたためである。…
【宗教音楽】より
…それはグレゴリオ聖歌の重要母体となったが,現在伝承される音楽では東洋的なメリスマが豊かである。古代にはリラ,縦笛,手太鼓なども用いられた,現在も使われているショファルという角笛は,楽器とはいえず,普化(ふけ)宗の伝統で尺八が〈法竹(ほつちく)〉と呼ばれるのにならえば〈法器〉というべきかもしれない。1000年の離散の間に,ユダヤ教徒の音楽はそれぞれの地方的特色をも加えながら,絶えずその優れた音楽性によって,人類の音楽文化に影響を与え続けている。…
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